朝日日本歴史人物事典 「小川又次」の解説
小川又次
生年:嘉永1.7.24(1848.8.22)
明治期の陸軍軍人。小倉藩(福岡県)藩士小川兼宣の長男。兵学寮を経て,大尉で台湾出兵(1874)に従軍し,神風連の乱鎮圧,西南戦争(1877)の熊本籠城戦で勇名を馳せた。大阪,広島各鎮台の参謀長を務めたのち,大佐で参謀本部の局長に就任し川上操六参謀次長の信任を得るとともに,戦術家としての名声をあげた。日清戦争(1894~95)では山県有朋第1軍司令官の下で参謀長を務め,その功により男爵。明治30(1897)年中将,第4師団長となり,日露戦争(1904~05)では金州と南山の戦闘,大石橋の夜襲で戦功を挙げたが,遼陽の会戦で負傷し帰還した。明治38年大将に任じられたが,やがて休職。同40年予備役に編入,子爵。<参考文献>桜井忠温編『類聚伝記大日本史』14巻
(戸部良一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報