小木曾荘(読み)おぎそのしょう

世界大百科事典(旧版)内の小木曾荘の言及

【木曾川】より

…水源地の木曾は森林資源が豊かで,信濃・美濃両国が帰属をめぐって争い,879年(元慶3)美濃に所属することに定められた。藤原道長の無量寿院(法成寺)造営のために小木曾(おぎそ)荘が設けられたといわれ,1285年(弘安8)内宮造営用材を美濃から伐り出す建議があり,1345年(興国6∥貞和1)外宮正遷宮の御杣(おそま)が設けられた。また63年(正平18∥貞治2)内宮仮遷宮以来,木曾から両宮造営用材が伐り出され,東山山荘(銀閣)などの造営に木曾材が用いられたりしたのは,いずれも木曾川運材によるものであった。…

【木曾山】より

… 《続日本紀》大宝2年(702)条,和銅6年(713)条に美濃の国司が〈吉蘇(きそ)〉路を切り開いた記事が見えるが,これによって木曾と畿内近国とが結ばれ,木曾山林の開発が緒につくにつれて,美濃・信濃両国が争奪を繰り返すようになったため,879年(元慶3)美濃国恵那郡の所属とされた(《日本三代実録》)。畿内近国の山林の濫採にともない,平安中期ごろから内装材や器物用材など人馬によって搬出可能な軽量ヒノキの供給地として注目されはじめ,やがて木曾の北辺に小木曾荘が成立した。荘園制時代から木曾山で生産されたヒノキ材は,ヒノキの大径木を適当な長さに輪切り,これを蜜柑割りにして製造する〈白木〉類であった。…

【検注】より

…検注使は領主にとって不利益な検注を行わない旨の誓約状を領主に差し出して,現地に下向した。いま中世における検注の実情を,1331年(元徳3)の高山寺領美濃国小木曾(おぎそ)荘における記録によって叙述してみよう。このとき京都から小木曾荘に下向した検注使一行は検注使以下20人,馬4頭という数であった。…

【検注帳】より

…ときには在荘の地頭がこれに加わることもある。元徳3年(1331)美濃国小木曾荘検注雑物注文に,検注帳の用紙および執筆の経費が計上されている。以上の事実から,検注帳は現地で製作されたことがうかがえる。…

※「小木曾荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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