百科事典マイペディア 「小林行雄」の意味・わかりやすい解説
小林行雄【こばやしゆきお】
→関連項目椿井大塚山古墳|同笵鏡
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…北方約1.5kmにある一乗寺,修学院の扇状地上にも縄文時代早期~晩期の遺跡群があり,南方1.5kmにも縄文時代~古墳時代の岡崎遺跡がある。上終町遺跡は1934年に小林行雄らが発掘し,縄文時代中期末の住居址1棟のほか,早期押型文土器,後期北白川上層式土器が発見された。小倉町遺跡は34年に梅原末治らが発掘した,近畿地方縄文土器研究の原点ともいうべき遺跡である。…
…20年代後半から第2次世界大戦にいたる間は編年学の時期といわれる。山内清男(やまのうちすがお)は縄文土器の,小林行雄は弥生土器の,梅原末治は古墳の年代づけを推進した。弥生土器の存在は19世紀から知られていたが,弥生時代の性格が明らかとなり,縄文時代,弥生時代,古墳時代という現在使われている時代区分の原型ができ上がったのは,30年代のことである。…
※「小林行雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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