小栗御厨(読み)おぐりのみくりや

日本歴史地名大系 「小栗御厨」の解説

小栗御厨
おぐりのみくりや

小貝こかい川左岸の小栗一帯にあった伊勢神宮の御厨。初見は「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一一月八日条で、「今日武衛赴鎌倉給、以便路入御小栗十郎重成小栗御厨八田館云々」とあり、源頼朝が佐竹氏追討の帰路、小栗重成の八田はつた(現下館市)に立寄ったという。弘安・嘉元両大田文には「伊勢御厨小栗保三百二十丁」とあり、新治にいはり郡内の東中西三郡とは別個の単位として扱われている。

御厨の成立は建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書)

<資料は省略されています>

とあり、寛治―康和年間(一〇八七―一一〇四)頃に伊勢神領として建立、保延二年(一一三六)に改めて伊勢内宮に寄進され、保元年間(一一五六―五九)には奉免宣旨によって上分絹一〇疋、別進起請二〇疋を供祭物として進済する内宮領御厨となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小栗御厨の言及

【小栗氏】より

…平繁朝の子重家が常陸国新治郡小栗(現,茨城県真壁郡協和町)に土着,小栗を称した。この地は平安時代の末に伊勢神宮領となり小栗御厨(おぐりのみくりや)と呼ばれた。小栗氏は御厨の下司(げし)(後に地頭)を世襲した。…

※「小栗御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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