小沢城(読み)おざわじょう

日本の城がわかる事典 「小沢城」の解説

おざわじょう【小沢城】

神奈川県川崎市多摩区にあった山城(やまじろ)。平安時代末期に稲毛三郎重成あるいは重成の子の小沢小太郎により築かれたと伝えられている。今日の稲城市の市境近く、多摩川を見下ろす多摩丘陵の先端部にあった。鎌倉・室町時代には鎌倉道の要衝矢野口の渡しを押さえる城として重視され、この城や城周辺の多摩川の河原などはたびたび合戦の舞台となった。1333年(元弘3/正慶2)には、新田義貞軍勢が幕府軍を破って鎌倉への突破口を開いた分倍河原の合戦が行われている。南北朝時代の1351年(観応2/正平6)には、小沢城に足利尊氏と対立した同母弟の直義(ただよし)方の軍勢が籠城し、幕府側の初代鎌倉公方足利基氏麾下の高麗経澄がこれを攻め落としている。このとき、小沢城は焼失した。戦国時代には北条早雲らが山内上杉顕定を破った合戦が行われ、1530年(享禄3)には、北条領に侵攻した上杉朝興を小沢城を出陣した北条氏康が迎撃してこれを破り、初陣を飾っている(小沢原合戦)。遺構縄張りなどに、後世の特徴が見られないことから、北条氏の武蔵支配が確立したことによりその役割が低下し、その後間もなく廃城になったと推定されている。城跡は現在、緑地公園になっており、空堀や櫓(やぐら)、土塁などの遺構が残っている。JR南武線・京王電鉄相模原線稲田堤駅から徒歩約17分。または同京王よみうりランド駅から徒歩約15分。◇天神山城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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