小西マンショ(読み)こにし・まんしょ

朝日日本歴史人物事典 「小西マンショ」の解説

小西マンショ

没年正保1(1644)
生年:慶長5(1600)
江戸前期のイエズス会宣教師,殉教者。対馬宗義智キリシタン大名小西行長の娘マリアの間にできた子という説がある。有馬(島原半島)のセミナリオに入るが,禁教令によって慶長19(1614)年マカオに追放される。その後ローマに行き,1623(元和9)年イエズス会に入会する。同地にて1627(寛永4)年司祭となる。リスボン,ゴア,マカオ,マニラを経て寛永9年帰国。京坂地方で迫害下の信徒の世話をする。正保1(1644)年大坂で捕らえられ殉教。その死後,日本にはひとりの司祭もいなくなり,日本のキリシタンは潜伏時代を迎える。<参考文献>H.チースリク『キリシタン時代の邦人司祭』

(宮崎賢太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西マンショ」の解説

小西マンショ こにし-マンショ

1600-1644 江戸時代前期の神父
慶長5年生まれ。宗義智(よしとし)と小西マリアとの子といわれる。キリシタン禁教令により慶長19年マカオにわたり,寛永4年ローマでイエズス会司祭となる。9年帰国し,京坂で布教にあたったが,寛永21年大坂(一説京都)で殉教した。45歳。対馬(つしま)(長崎県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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