小野東人(読み)おののあずまひと

朝日日本歴史人物事典 「小野東人」の解説

小野東人

没年天平勝宝9.7(757)
生年:生年不詳
奈良時代の官人。天平10(738)年,左兵衛率となったが,13年には藤原広嗣の乱に連座して,平城京内の獄舎にとらわれ,伊豆国賀茂郡の三島(東京都大島町か)に配流された。18年,許されて従五位下に叙位,翌年には治部少輔,天平勝宝9(757)年には従五位上となった。しかし再び橘奈良麻呂の乱に参加したらしく,中衛舎人上道斐太都に密告され,藤原仲麻呂配下の兵に捕らえられた。左衛士府に禁固ののち,拷問をうけ杖下に死んだ。そのときの官職は備前国守だったという。2度も反乱事件に巻き込まれ罰せられた不遇の人物。

(鬼頭清明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野東人」の解説

小野東人 おのの-あずまひと

?-757 奈良時代の官吏
天平(てんぴょう)10年左兵衛佐(さひょうえのすけ)となる。藤原広嗣(ひろつぐ)の乱に連座したためか,13年伊豆(いず)三島に流される。のちゆるされて備前守(かみ)などをつとめたが,橘奈良麻呂(たちばなの-ならまろ)の変にくわわり拷問をうけて天平勝宝(しょうほう)9年7月4日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小野東人の言及

【橘奈良麻呂の変】より

…しかし密告があいつぎ,とくに7月2日の上道斐太都(かみつみちのひだつ)の密告によって,仲麻呂は機先を制して一党を逮捕した。すぐさま訊問が行われ,黄文(きぶみ)王,道祖王,大伴古麻呂,小野東人,多治比犢養(たじひのこうしかい),賀茂角足らの中心人物は拷問によって杖下に死し,安宿(あすかべ)王大伴古慈斐(こじひ)その他多数が流罪に処された。奈良麻呂の消息は《続日本紀》にはみえないが,やはり殺されたのであろう。…

※「小野東人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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