小高(読み)こだかい

精選版 日本国語大辞典 「小高」の意味・読み・例文・類語

こ‐だか・い【小高】

〘形口〙 こだか・し 〘形ク〙
少し高い。まわりにくらべ、やや目立って高い。
和泉式部日記(11C前)「しのびねはくるしきものを時鳥こだかき声をけふよりは聞け」
※光悦本謡曲・姨捨(1430頃)「これにこたかき桂の木の」
② 相場が少し高い。⇔小安い。〔取引所用語字彙(1917)〕
こだか‐さ
〘名〙

こ‐だか【小高】

〘名〙
① わずかな田畑をもっていること。
地方凡例録(1794)四「分け遣分小高にて分配仕可然旨〈略〉書面の通相定めたり」
② 所持高の少ない百姓
③ 武士などの祿高の少ないこと。
※随筆・三省録(1843)四「むかしは小高のものも、乗馬軍器等多く所持することあり」

こ‐だか・る【小高】

〘自ラ四〙 (「こ」は接頭語。「たかる」は「高」の動詞化) すこし高くなっている。小高くなっている。
古事記(712)下・歌謡「倭(やまと)の この高市(たけち)に 古陀加流(コダカル) 市の高処(つかさ)

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日本歴史地名大系 「小高」の解説

小高
こたか

[現在地名]川口町田麦山 小高

田麦山たむぎやま村本村の南、相川あいかわ川沿いの集落。田麦山村の枝村。相川川上流に田麦山村やま相川あいかわの集落がある。元久二年(一二〇五)年号のある十九半名之事(大淵家文書)には「名主 小高 早右衛門」の名をとどめている。ほかに「名主 藤倉 惣右衛門」と「名主 きわだ窪 文七」も小高地内に含まれる。草分は屋号藤倉で、小高は藤倉ふじくら村とよばれたこともあったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小高」の意味・わかりやすい解説

小高
おだか

福島県北東部の太平洋岸、相馬郡(そうまぐん)にあった旧町名(小高町(まち))。現在は南相馬市小高区で、市の南部を占める地域。旧小高町は、1898年(明治31)町制施行。1954年(昭和29)金房(かなふさ)、福浦の2村と合併。2006年(平成18)原町(はらまち)市、鹿島(かしま)町と合併して、南相馬市となった。国道6号(旧、陸前(りくぜん)浜街道)とJR常磐(じょうばん)線が南北に走る。1336年(延元1・建武3)相馬氏が小高城(浮舟城)に居城し、1611年(慶長16)中村(相馬市)に移るまで約280年間相馬氏の本拠であった。江戸時代には浜街道の宿駅であった。稲作中心に養蚕、畜産を行い、明治以降「相馬羽二重(はぶたえ)」を特産した。近年では養蚕は衰退し、桑園を果樹園などに転換する事業が進められている。7月の最終月曜日、小高城跡(県史跡)内にある小高神社では、国の重要無形民俗文化財の相馬野馬追(のまおい)の野馬懸が行われる。大悲山の磨崖仏(だいひざんのまがいぶつ)は国の史跡。

[原田 榮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小高」の意味・わかりやすい解説

小高
おだか

福島県北東部,南相馬市南部の旧町域。太平洋岸にある。1898年町制。1954年金房村,福浦村の 2村と合体。2006年原町市,鹿島町と合体して南相馬市となった。古くは相馬地方の中心で,小高城址(小高神社)があり,中世には相馬氏の居城地,近世には陸前浜街道の宿駅として発展。農村地域工業等導入促進法に基づき,工業地区の整備がはかられた。小高神社で行なわれる相馬野馬追いは全国的に有名で,国の重要無形民俗文化財に指定されている。国の史跡に薬師堂石仏,阿弥陀堂石仏,観音堂石仏がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「小高」の意味・わかりやすい解説

小高 (おだか)

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