朝日日本歴史人物事典 「尾上松助(初代)」の解説
尾上松助(初代)
生年:延享4(1744)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名三朝。大坂小芝居衣裳方の子として生まれた。幼時父と江戸に下り,初代尾上菊五郎の弟子となり尾上松助を名乗る。子役から若女形,さらに立役を経て実悪に進んだ。怪談物の早替わりを得意としていたが,文化1年(1804)の作者鶴屋南北との提携による「天竺徳兵衛韓噺」で怪談役者としての名声が定まり,これから怪談芝居は夏という慣習ができた。怪談,実悪の重鎮として天竺徳兵衛,「加賀見山」の岩藤を最も得意としたが,細かい演技は不得意だった。音曲をよくし,鬘の改良にも貢献した。文化6年,66歳で養子栄三郎に2代目を譲ったが,尾上松緑の名でなお出勤し,72歳で没。2代目はのちの名優3代目尾上菊五郎,3代目はその長男が継いだが大成しなかった。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』
(井草利夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報