世界大百科事典(旧版)内の尾土焼の言及
【土佐国】より
…盛時の紙漉1万5000余戸,年産700万束にのぼったといわれる。陶器の尾土(おど)焼は17世紀中葉大坂高津の陶工久野正伯を招いて創始した藩窯で,製品は茶器,置物など美術品が主であった。文政年間(1818‐30)高知城北麓の尾土(小津)から西南郊外の能茶(のうさ)山に移り,能茶焼として今日に伝わる。…
※「尾土焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…盛時の紙漉1万5000余戸,年産700万束にのぼったといわれる。陶器の尾土(おど)焼は17世紀中葉大坂高津の陶工久野正伯を招いて創始した藩窯で,製品は茶器,置物など美術品が主であった。文政年間(1818‐30)高知城北麓の尾土(小津)から西南郊外の能茶(のうさ)山に移り,能茶焼として今日に伝わる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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