朝日日本歴史人物事典 「山中平九郎(初代)」の解説
山中平九郎(初代)
生年:寛永19(1642)
江戸前・中期の歌舞伎役者。俳名仙家。初名鈴木平九郎。元禄2(1689)年江戸中村座で演じた時平大臣の大評判をはじめ「参会名古屋」の正親町太宰之丞などの公家悪に定評を得て,「実悪の開山」と称されるに至った。以後,上方の藤川武左衛門,片岡仁左衛門と並び称される江戸実悪の第一人者として活躍しつづけた。落ち着いた仕打ちのこまかな芸風で,もっとも得意とする公家悪,怨霊事のほか,実事,敵役,愁嘆事などにもすぐれており,芸達者であった。実悪として演じる「曾我」の工藤祐経も当たり役のひとつで,江戸歌舞伎の悪の表現様式は平九郎によってつくりあげられたものである。背が高くやせており,歯が抜けているために口跡が悪かったが声は大きく,憎々しい顔付きをしていた。そのため,舞台の上でにらみつけると観客の子供が怖がって泣き出すといわれ,自宅で鬼女の隈取を試みていたところ,それを見た妻が恐ろしさに失神したという逸話もある。実際,面をつけずに生まれつきの顔を彩って鬼と見せる名人とたたえられ,彼の般若の隈取は「平九郎隈」として現在に伝わっている。平九郎の名跡は,江戸中期の3代目までで途絶えている。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『歌舞伎事始』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報