20世紀日本人名事典 「山崎 覚太郎」の解説
山崎 覚太郎
ヤマザキ カクタロウ
大正・昭和期の漆芸家 東京美術学校教授;日展会長。
- 生年
- 明治32(1899)年6月29日
- 没年
- 昭和59(1984)年3月1日
- 出身地
- 富山県富山市
- 別名
- 雅号=北堂
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)漆工科〔大正13年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日展特選〔昭和3年・4年・6年〕,日本芸術院賞〔昭和28年〕「三曲衝立・猿」,文化功労者〔昭和41年〕,勲二等瑞宝章〔昭和45年〕,勲二等旭日重光章〔昭和52年〕
- 経歴
- 大正14年パリ万国装飾美術工芸博覧会で金賞受賞。15年東京美校講師となり、昭和3年助教授、18年同教授兼工業技術講習所教授を歴任して21年退官。この間、2年帝展に初入選し、3年から連続3回特選。14年より新文展・日展審査員。28年「三曲衝立・猿」で日本芸術院賞受賞。32年日本芸術院会員、41年文化功労者。また40年に現代工芸美術家協会を創立し会長に就任、新人の発掘や国内展、海外展の開催に力を注いだ。日展では44年理事長、49年会長となり“ヤマカク天皇”の異名をとった。現代漆工芸の先駆者で色うるしのパイオニア。他の代表作に「額面・疾風」など、著書に「海外工芸の新傾向」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報