朝日日本歴史人物事典 「山彦源四郎(初代)」の解説
山彦源四郎(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の河東節の三味線方。本名村上源四郎。「山彦」銘の三味線を手に入れたことから,名を山彦と改めたという説があるが,よくわからない。木村又八の門人で,はじめ半太夫座で弾いていたという。享保2(1717)年江戸市村座で,初代十寸見河東が「松の内」ではじめて河東を名乗って以来,ずっと初代河東の三味線方を勤めた。初代河東の没後,2代目江戸太夫藤十郎,3代目および4代目河東の三味線方も勤め,河東節の創成期から完成期に大きな功績を残した。河東節三味線の大きな特色であるスクイやハジキ,コロリン(いずれも琴の擬音を出す奏法)といった技法は,初代源四郎がとり入れて完成させたといわれる。没日には10日説もある。
(吉野雪子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報