精選版 日本国語大辞典 「山本権兵衛」の意味・読み・例文・類語
やまもと‐ごんべえ【山本権兵衛】
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海軍軍人、政治家。名前は「ごんのひょうえ」ともいう。旧薩摩(さつま)藩士山本五百助の六男。嘉永(かえい)5年10月15日生まれ。14歳で父を失い、16歳で藩主島津忠義(しまづただよし)に従い京都守護に任じ、戊辰戦争(ぼしんせんそう)に従軍、のち昌平黌(しょうへいこう)、開成所(かいせいじょ)を経て海軍兵学寮に学ぶ。この間、征韓論に会し西郷隆盛(さいごうたかもり)の説諭で学業に専心し、1877年(明治10)海軍少尉に任官。のち世界各地を周航、帰国後「高雄(たかお)」、「高千穂(たかちほ)」艦長などを歴任し、1891年大臣官房主事として縦横にその才を振るい、海相西郷従道(さいごうつぐみち)の全幅的信頼を得て懸案の海軍参謀機関の独立を実現させた。1893年海軍省主事、1895年少将として軍務局長に進み、日清戦争では実質上海軍機務を切り回して権兵衛大臣の異名を得た。1898年中将、海軍次官から、山県有朋(やまがたありとも)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、桂太郎(かつらたろう)各内閣の海軍大臣を歴任して日露戦争の難局を突破し、この間大将に昇任、戦後功一級、伯爵の位を得た。1913年(大正2)の大正政変で第三次桂内閣が倒れたあと、立憲政友会と結んで第一次山本内閣を組織し、現役武官大臣制の改革などで業績をあげたが、翌1914年シーメンス事件で辞職、現役を退いた。その後1923年関東大震災の渦中で再度内閣を組織し、普選実現、行財政整理、日ソ国交回復などを公約したが、震災の事後処理に忙殺されるなかで、同年12月の虎の門事件で引責辞職した。陸軍=長閥の山県有朋に対し、海軍=薩閥の統領として対峙(たいじ)したが、昭和8年12月8日病没、82歳。
[小林幸男]
『辻本嘉明著『山本権兵衛――かつて男かくありき』(2005・叢文社)』▽『千早正隆著『海軍経営者 山本権兵衛』新装版(2009・プレジデント社)』
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明治・大正期の海軍将官,大将。政治家。名前は〈ごんのひょうえ〉とも。薩摩藩士山本盛珉の六男。戊辰戦争に従軍。維新後海軍兵学寮に入り,1874年卒業。76年艦務研究のためドイツ軍艦に乗り組み,世界周航。87-88年樺山資紀の随員として欧米視察。高雄,高千穂艦長,海軍軍務局長を経て,98年第2次山県有朋内閣の海相となり,以後第4次伊藤博文,第1次桂太郎内閣に留任。日露戦争では開戦回避を唱えた。この間1902年男爵,04年大将。07年伯爵に昇爵。13年第3次桂内閣の倒壊後第1次内閣を組織し,政友会の支持をうけて行財政整理,文官任用資格の拡大,軍部大臣武官制の改革などを行ったが,翌年海軍高官汚職のシーメンス事件で総辞職し,予備役に編入。23年9月関東大震災のさなかに第2次内閣を組織し,震災後の復興処理にあたったが,同年末虎の門事件の責任をとって総辞職した。〈長州の陸軍〉にたいする〈薩摩の海軍〉の巨頭として海軍内に大きな勢力をもっただけでなく,政治的にも薩摩閥の中心として重きをなした。
執筆者:由井 正臣
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(小池聖一)
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1852.10.15~1933.12.8
明治~昭和前期の政治家・海軍軍人。鹿児島藩出身。薩英戦争・戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後海軍で累進,軍務局長などをへて第2次山県内閣~第1次桂内閣の海相。西郷従道(つぐみち)らのもとで日本海軍の育成に貢献し,薩摩閥の後継者となった。1904年(明治37)海軍大将。13年(大正2)大正政変により政友会を与党に第1次山本内閣を組織し,軍部大臣武官制の現役規定を廃止したが,翌年シーメンス事件で退陣。23年革新倶楽部を与党に第2次山本内閣を組織,関東大震災の復旧にあたったが,虎の門事件で短命政権に終わった。以後は薩派の長老として活動。伯爵。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…海軍軍令機関の前身は,1884年海軍省外局に設置された軍事部にあり,その後,参謀本部海軍部,海軍大臣のもとの海軍参謀部をへて,93年に海軍軍令部条例が制定されて,はじめて海軍軍政機関,陸軍軍令機関からまったく独立した海軍軍令機関としての海軍軍令部が設置されることになった。この背景には,日清戦争を前にして,海軍軍備の拡大や軍令事項への議会の関与を排しようとする海軍側の企図があり,その推進者は海軍省官房主事の山本権兵衛であった。しかし同時に制定された戦時大本営条例では,戦時には海軍軍令部長は参謀総長の隷下に入ることになっており,陸軍軍令機関との同格化を求める海軍側の画策はつづく。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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