山本角太夫(読み)ヤマモトカクタユウ

デジタル大辞泉 「山本角太夫」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐かくたゆう〔‐カクタイフ〕【山本角太夫】

[?~1700]江戸前期の古浄瑠璃太夫京都中心活躍相模掾さがみのじょう受領、のち土佐掾と改めた。角太夫節の祖で、説経節系の哀愁のある曲を得意とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本角太夫」の意味・わかりやすい解説

山本角太夫
やまもとかくたゆう
(?―1700)

京都の浄瑠璃(じょうるり)太夫で、角太夫節の祖。虎屋(とらや)源太夫らに浄瑠璃を学んだのち、1670年代(延宝年間)に京都四条河原で人形芝居を始める。からくり糸操りを多用し、宇治加賀掾(かがのじょう)と人気を分かった。1677年(延宝5)に受領(ずりょう)して相模掾(さがみのじょう)藤原吉勝と称したが、85年(貞享2)土屋相模守(かみ)が京都所司代に就任したため、相模の呼称を遠慮して土佐掾(とさのじょう)藤原孝勝と改めた。『酒顛童子(しゅてんどうじ)』『しのだ妻』などの語り口は角太夫節の名でもてはやされた。なお門弟のなかから、松本治太夫や一中節(いっちゅうぶし)の祖都太夫(みやこだゆう)一中が輩出した。

[倉田喜弘]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本角太夫」の解説

山本角太夫 やまもと-かくだゆう

?-1700 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂から京都にうつり,一派をたてて角太夫節の祖となる。師系には諸説があり不詳。嘉太夫節の宇治加賀掾(かがのじょう)と人気を二分した。人形にからくりをとりいれ,語り物はうれい節に特徴があったという。延宝5年(1677)相模掾,のち土佐掾を受領(ずりょう)した。元禄(げんろく)13年死去。

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世界大百科事典(旧版)内の山本角太夫の言及

【五大力菩薩】より

…薬師如来の安置をめぐる善臣悪臣の対立抗争に邪恋を絡ませたお家騒動ものの一つで,忠臣刑部とその妻子の別れを扱った愁嘆の場に説経らしい情念がある。山本角太夫に,同材の古浄瑠璃の正本がある。【岩崎 武夫】。…

【浄瑠璃】より

…これは上方にまだ特色ある太夫が現れず,過渡期的現象であった。大坂の出羽掾座で文弥節を学んだ山本角太夫(かくたゆう)(山本土佐掾)が,75年(延宝3)ころ京でうれい節を語った(語り物に《しのだづま》ほか)。その門下に松本治太夫がある。…

※「山本角太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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