山田宗徧(読み)やまだそうへん

精選版 日本国語大辞典 「山田宗徧」の意味・読み・例文・類語

やまだ‐そうへん【山田宗徧】

江戸初期の茶人。父の跡を継ぎ、東本願寺末長徳寺の住持となる。千宗旦に茶を学び、還俗して洛西三宝寺に四方庵を構えた。晩年江戸に出て、利休正伝の茶法として宗徧流創始。著に「茶道要録」。寛永四~宝永五年(一六二七‐一七〇八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田宗徧」の意味・わかりやすい解説

山田宗徧
やまだそうへん
(1627―1708)

江戸時代中期の茶匠。千宗旦(せんのそうたん)の弟子で、宗旦四天王の随一。山田は母方の姓で、初め宗円と称した。京都長徳寺明覚(みょうかく)の子で周学(しゅうがく)といい、寺を継いだが、茶を好み、18歳のとき宗旦の門に入る。8年後、皆伝を機に寺を去り、鳴滝(なるたき)に四方庵(あん)を営む。1655年(明暦1)宗旦の推挙で三河国吉田藩の小笠原忠知(おがさわらただとも)の茶頭(さどう)となり、不審庵(ふしんあん)・今日庵(こんにちあん)・力囲斎(りきいさい)の号を与えられる。同藩4代に仕え、1697年(元禄10)同藩の武蔵岩槻(むさしいわつき)への転封を機に致仕し、江戸・本所に住む。以前からの関係で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の茶事指南にあたったが、これを知った播州(ばんしゅう)赤穂(あこう)浪士大高源五(おおたかげんご)が弟子となり、吉良邸討入りの日を決めた逸話は有名。著書『茶道便蒙(べんもう)抄』『茶道要録』『利休茶具図絵』など。

[村井康彦]

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世界大百科事典(旧版)内の山田宗徧の言及

【宗徧流】より

…山田宗徧(1627‐1708)を流祖とする茶道の流儀の一つ。山田宗徧は東本願寺の末寺である,京都二本松の長徳寺明覚の子として生まれ,周学と称していた。…

※「山田宗徧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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