山田武甫(読み)やまだ・たけとし

朝日日本歴史人物事典 「山田武甫」の解説

山田武甫

没年:明治26.2.25(1893)
生年天保2.12(1831)
明治期の政治家。熊本藩士の家に出生陽明学を学び,横井小楠の流れをくむ実学党に属す。熊本藩会計権判事,同少参事,同参事,内務省出仕,敦賀県令を歴任。その後郷里において蚕業会社社長となる。また共立学舎を創立して後進の育成に尽力,さらに熊本県師範学校長となる。大同団結運動期には九州同志会の中心人物として旧自由党系の庚寅倶楽部と立憲改進党との合同を推進したが失敗。自由党常議員となり,第1,2回総選挙に当選,松田正久らと共に自由党九州派の中心となる。第4議会会期中に病死したが,彼の死は熊本県自由党の退潮を決定づけた。

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田武甫」の解説

山田武甫 やまだ-たけとし

1832*-1893 明治時代の政治家。
天保(てんぽう)2年12月生まれ。もと肥後熊本藩士。熊本県参事,敦賀県令などをつとめ,帰郷して蚕業会社社長。共立学舎を創立,熊本師範学校長をつとめる。明治15年九州改進党を結成し,自由民権運動を推進した。23年衆議院議員(当選2回)。明治26年2月23日死去。63歳。本姓牛島

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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