山科宗甫(読み)やましな・そうほ

朝日日本歴史人物事典 「山科宗甫」の解説

山科宗甫

没年:寛文6.8.9(1666.9.7)
生年:生年不詳
江戸初期の茶人。父は千利休の女婿・千少庵。宗旦の弟として知られる。通称四郎三郎,山花亭と号した。『江岑夏書』によると,山科の鯛屋小六の養子となり,青貝細工を業とした。姓は渡辺。貝屋と称したとする伝えもある。侘び茶人の面影を伝える茶杓,在判茶器,消息文が伝存しているが,その数は稀少で珍重される。異説に慶長11(1606)年10月29日,父の少庵に先立って死去した,ともいう。宗甫の伝はなお勘考余地が残される。

(戸田勝久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科宗甫」の解説

山科宗甫 やましな-そうほ

?-1666 江戸時代前期の茶人。
千少庵の子。千宗旦(そうたん)の弟。京都の山科にすみ,山科と称した。青貝細工家業とする。茶の湯を父と兄にまなび,茶道具の目利きとして知られた。寛文6年8月9日死去。通称は四郎三郎。号は山花亭。屋号は貝屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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