山脇和泉(7代)(読み)やまわき・いずみ

朝日日本歴史人物事典 「山脇和泉(7代)」の解説

山脇和泉(7代)

没年:万治2.2.4(1659.3.26)
生年:生年不詳
江戸前期の狂言師。名は元宜。父は鳥飼和泉守元光。初めは主に禁裏に出仕していたが,慶長19(1614)年に尾張藩に京都住のまま召し抱えられる。藩主徳川義直の愛顧を受け,翌年には大坂夏の陣にも供として従軍。その一方で禁裏御用にも励み,寛永8(1631)年大曲の「花子」を勤めて和泉守の受領号を受ける。同19年に家督を養子元永に譲るも,正保2(1645)年に元永の早世によって再勤。承応2(1653)年に孫の元信に相続させて隠居した。隠居名道仙。この代に三宅藤九郎,野村又三郎両家を傘下に収めて実質的な和泉流の創始者となり,「禁裏の狂言」であることに誇りを持ち続けた。<参考文献>小林責『狂言史研究』

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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