山階芳麿(読み)やましなよしまろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山階芳麿」の意味・わかりやすい解説

山階芳麿
やましなよしまろ
(1900―1989)

鳥類学者。山階宮菊麿(きくまろ)王(1873―1908)の次男に生まれる。1920年(大正9)臣籍降下侯爵を授けられた。陸軍中尉であった1929年(昭和4)、病弱のため願いにより退役。好きな鳥の勉学のため東京大学理学部動物学科撰科(せんか)に入学。1942年、それまでに集めた鳥類標本3万点、図書、土地や建物、基本金などいっさいを寄付、財団法人山階鳥類研究所を設立理事長となる。この年、「鳥類雑種の不妊性に関する研究」で理学博士。この間、鳥類の分類・生態・保護の各分野にわたり多数の研究論文を発表。『日本の鳥類と其(そ)の生態』2巻は不朽の名著である。第二次世界大戦後「細胞学に基づく動物の分類法」で日本遺伝学会賞を受賞。また、その業績は諸外国にも認められた。日本鳥学会会頭、日本鳥類保護連盟会長など自然保護諸団体の役員を務める一方、国際的にも日本代表として活躍。1977年(昭和52)鳥の研究・保護・飼育のすべての面で世界的な成果をあげた人物に与えられるジャン・デラクール賞を、国際鳥類保護会議(現在のバードライフ・インターナショナル)より受賞。1986年に『世界鳥類和名辞典』を著した。

[松山資郎]

『『日本の鳥類と其の生態』復刻版・全2巻(1980・出版科学総合研究所)』『『世界鳥類和名辞典』(1986・大学書林)』

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改訂新版 世界大百科事典 「山階芳麿」の意味・わかりやすい解説

山階芳麿 (やましなよしまろ)
生没年:1900-89(明治33-平成1)

山階宮菊麿王の第2王子。1920年,臣籍降下して山階侯爵となる。幼いころから鳥類に関心をもち,陸軍幼年学校・士官学校を経て砲兵将校となるが,動物学研究への志望もだしがたく,東京大学理学部動物学科選科に転じ,本格的に鳥類学を始める。32年,私邸に鳥類標本館を建て,専任の研究員や採集人を置いて,台湾,ミクロネシアサハリンから標本を採集,分類・形態・分布などの研究に励む。のちに標本館を山階鳥類研究所にして公開,在野の鳥類研究者に大きな便宜をもたらした。戦後はもっぱら鳥類保護に力を入れ,中西悟堂と協同して,霞網(かすみあみ)や空気銃の使用禁止をはじめ,鳥獣保護制度の確立に奔走した。また国際鳥類保護会議副会長,日本鳥類保護連盟会長,日本鳥学会名誉会頭,環境庁自然環境保全委員をはじめ内外の多数の公共機関,学会の長や委員を歴任し,日本における鳥類学研究,自然保護の体制づくりに指導的役割を果たした。
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百科事典マイペディア 「山階芳麿」の意味・わかりやすい解説

山階芳麿【やましなよしまろ】

鳥類学者。山階宮菊麿王の第2王子。1920年臣籍降下し侯爵。東大卒。1932年自宅に鳥類標本館を設立。1942年山階鳥類研究所に改組し,在野の研究者に便宜をはかった。中西悟堂(ごどう)とともに鳥類保護制度確立に尽力し,日本鳥類保護連盟会長,国際鳥類保護会議副会長などをつとめた。主著《日本の鳥類と其生態》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山階芳麿」の解説

山階芳麿 やましな-よしまろ

1900-1989 昭和時代の鳥類学者。
明治33年7月5日生まれ。山階宮菊麿王の次男。陸軍を退役して東京帝大にまなぶ。昭和17年山階鳥類研究所を設立し,理事長。貴族院議員。戦後は日本鳥類保護連盟会長などをつとめた。平成元年1月28日死去。88歳。東京出身。陸軍士官学校卒。著作に「日本の鳥類と其生態」など。

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