山高しげり(読み)やまたかしげり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山高しげり」の意味・わかりやすい解説

山高しげり
やまたかしげり
(1899―1977)

女性運動家。三重県生まれ。東京女子高等師範中退。21歳で結婚(のち離婚)。新聞・雑誌記者を経て、1924年(大正13)婦人参政権獲得期成同盟会(のち婦選獲得同盟)を結成市川房枝とともに運動を推進。1934年(昭和9)母性保護連盟を結成。1939年婦人時局研究会を創立、戦時国策に協力しつつ女性の地位向上を目ざす。大日本婦人会理事、大政翼賛会中央協力会議員を歴任。第二次世界大戦後は地域婦人団体の育成に努め、全国地域婦人団体連絡協議会会長、全国未亡人団体協議会事務局長としても活動。1962~1971年参議院議員

[北河賢三]

『山高しげり著『わが幸はわが手で』(1982・ドメス出版)』『『山高しげり著作集』全5巻(2007・学術出版会)』『鈴木聿子著、一番ケ瀬康子・津曲祐次編『山高しげり』(1998・大空社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「山高しげり」の意味・わかりやすい解説

山高しげり (やまたかしげり)
生没年:1899-1977(明治32-昭和52)

婦人運動家。三重県に生まれ,東京女子高等師範中退。翌1919年に結婚し金子姓となる(1939離婚)。19年息子の出生後から《国民新聞》《主婦之友》の記者を経て婦人問題にめざめ,24年市川房枝らと婦人参政権獲得期成同盟会を結成し,婦人参政権獲得に情熱を注いだ。婦人市政浄化運動,母性保護運動にも活躍し,42年大日本婦人会理事。第2次大戦後も全国未亡人団体協議会,全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)の代表として婦人運動に尽力し,52年から9年間参議院議員も務めた。
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百科事典マイペディア 「山高しげり」の意味・わかりやすい解説

山高しげり【やまたかしげり】

婦人運動家。三重県出身。東京女子高等師範学校(現,お茶の水女子大)中退。雑誌記者などを経て1924年市川房枝らと婦人参政権獲得期成同盟会を結成,1940年の解散まで市川の片腕となって運動を支えた。一方,母性保護運動にも活躍し,1937年の母子保護法成立に尽力。第2次大戦後は戦争未亡人問題にも取り組み,1952年全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)を組織して会長となり,参議院議員に2回当選。晩年は原水禁運動の統一を訴えた。
→関連項目山田わか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山高しげり」の解説

山高しげり やまたか-しげり

1899-1977 大正-昭和時代の女性運動家。
明治32年1月5日生まれ。国民新聞記者をへて市川房枝らと婦人参政権獲得期成同盟会を結成。戦後は全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)を組織し,初代会長。昭和37年参議院議員(当選2回,二院クラブ)。昭和52年11月13日死去。78歳。三重県出身。東京女高師(現お茶の水女子大)中退。著作に「母子福祉四十年」など。

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世界大百科事典(旧版)内の山高しげりの言及

【地婦連】より

…〈全地婦連〉とも通称される。1952年に山高しげり(1899‐1977)を会長に結成された。戦後,地域の民主化を進めるために,地方行政当局や占領軍民生部の要望もあり,町村単位の地域を基盤にした婦人会が結成された。…

※「山高しげり」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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