岡内重俊(読み)おかうち・しげとし

朝日日本歴史人物事典 「岡内重俊」の解説

岡内重俊

没年:大正4.9.20(1915)
生年天保13.4.2(1842.5.11)
明治初期の司法官。土佐国土佐郡潮江村(高知市)に土佐藩士岡内清胤の長男として生まれる。通称俊太郎。同藩の横目であったが,文久3(1863)年江戸に上り,水戸藩士や桂小五郎,久坂玄瑞らと交流。坂本竜馬海援隊に入り,秘書役として活躍した。明治2(1869)年刑法官に出仕,4年10月佐々木高行司法大輔らの欧米視察に随行。帰国後,岩倉具視,伊藤博文らと共に征韓論に抗して高知の征韓論者説得に努めた。6年6月司法大検事に任ぜられ,以後長崎上等裁判所長心得,大審院刑事局詰,高等法院陪席判事を歴任。19年5月元老院議官,23年9月貴族院議員勅選。33年5月維新の功績によって男爵,晩年は政友会所属した。

(楠精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡内重俊」の解説

岡内重俊 おかうち-しげとし

1842-1915 幕末-明治時代の武士,司法官。
天保(てんぽう)13年4月2日生まれ。土佐高知藩士。坂本竜馬(りょうま)の海援隊にはいり,秘書役をつとめる。明治2年刑法官(司法省前身)にはいり,司法大検事,高等法院陪席判事などを歴任した。元老院議官,貴族院議員。政友会に所属。大正4年9月19日死去。74歳。通称は俊太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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