岡山平野(読み)おかやまへいや

精選版 日本国語大辞典 「岡山平野」の意味・読み・例文・類語

おかやま‐へいや をかやま‥【岡山平野】

岡山県南部、瀬戸内海に面する平野。吉井川、旭川、高梁(たかはし)川の形成した沖積平野で、面積は中国地方最大。一六世紀以降、干拓事業が進む。岡山、倉敷などの諸都市がある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「岡山平野」の意味・読み・例文・類語

おかやま‐へいや〔をかやま‐〕【岡山平野】

岡山県南部の平野。吉井川旭川高梁たかはしなどの下流域の沖積平野で、干拓地も多い。米・ブドウ・モモ・イなどの産地。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「岡山平野」の意味・わかりやすい解説

岡山平野 (おかやまへいや)

岡山県南部の瀬戸内海に面する平野。岡山市倉敷市総社市,瀬戸内市などの地域を含む。吉井川旭川高梁(たかはし)川の三大河川および砂川,笹ヶ瀬川,足守川などの堆積作用で形成された沖積平野で,吉井川以東の部分をとくに千町平野と呼ぶ。三角州の成長により16~17世紀には児島半島が陸繫島となったが,ほかにかつて島であったところが平野の中の丘陵として点在する。条里遺構は南限が不明瞭であるが,岡山市中心部以東では山陽本線沿線,以西では国道180号線沿線に顕著に認められ,とくに後者の地域には加茂の造山(つくりやま)古墳(史),三須の作山(つくりやま)古墳(史),吉備津神社,吉備津彦神社備中国府跡,備中国分寺跡(史),備中国分尼寺跡(史),こうもり塚古墳(史),備中総社,備中高松城跡(史)など古跡や名所が多く,吉備路風土記の丘県立自然公園に指定されている。

 河川の堆積作用にともなって開発も進行し,岡山付近では古代に福岡荘,大安寺荘,鹿田荘が置かれた。16世紀末には宇喜多開発が最初の干拓地として成立した。以後,江戸時代には備前藩ではとくに17世紀と19世紀に大規模な新田開発を行い,旭川と吉井川の間に沖新田など,児島湾奥に興除(こうじよ)新田などのほか小新田も入れると175新田,約9200haが干拓された。備中側でも倉敷南部や水島において数多くの新田が生まれた。明治以後は藤田組,第2次世界大戦後は農林省により児島湾の干拓が実施され,また倉敷では水島地先を埋め立てて水島臨海工業地帯が形成された。この平野は古くから穀倉地帯であり,この用水確保のため湛井(たたい)十二ヶ郷用水,八ヶ郷用水,田原用水などの大用水組織が作られ維持されてきた。岡山から倉敷にかけての水田地帯は伝統的な越冬性のイグサ栽培地で,最高時は1964年の5553haで全国の46.3%を占めたが,工業化・都市化による労働力減少およびイグサ栽培の厳しい労働条件のため急速に減少し,最盛期の10%程度になった。岡山市中部や倉敷市の砂礫(されき)地では蔬菜栽培,西大寺ではイチゴ栽培,平野周辺の丘陵部ではブドウやモモの栽培が行われている。児島湾干拓地の興除,藤田は日本の機械化農業の発祥地として有名。平野中央には岡山,東には西大寺,西には倉敷および総社の市街地があり経済的に岡山県の中枢部を形成している。これらを中心として都市化の勢いが盛んで,とくに主要道路沿いに宅地化の進行が顕著である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡山平野」の意味・わかりやすい解説

岡山平野
おかやまへいや

岡山県南部、瀬戸内海に面する平野。吉井川、旭(あさひ)川、高梁(たかはし)川の三大河川や砂川、笹ヶ瀬(ささがせ)川、足守(あしもり)川などの堆積(たいせき)作用により形成された沖積平野である。古い時代に吉備(きび)の穴海として広く湾入していた瀬戸内海の一部を埋めたため、かつての島は平野のなかに散在する丘陵になっており、児島(こじま)も16世紀から17世紀初頭には陸繋島(りくけいとう)となって児島半島となった。開発の歴史は古く、岡山市北区津島や倉敷市庄(しょう)などでは平野の地下から弥生(やよい)式の遺物、遺跡が発掘された。条里遺構の南限は不明瞭(ふめいりょう)であるが、岡山市以東ではJR山陽本線沿線から吉井川東岸の千町(せんちょう)平野にかけて、以西では旧山陽道や国道180号沿線に顕著に認められる。平野には両宮山(りょうぐうざん)古墳、造山(つくりやま)古墳、作山(つくりやま)古墳、備前(びぜん)国府跡、備中(びっちゅう)国府跡、吉備津神社、吉備津彦神社、その他の古代の史跡、遺跡が多い。岡山市付近では中世には大安寺荘、鹿田(しかた)荘などがあった。干拓では1584年(天正12)宇喜多秀家(うきたひでいえ)による倉敷、早島付近の開墾を初めとして、岡山藩による17世紀の沖新田その他、19世紀の興除(こうじょ)新田、明治以後は藤田組、第二次世界大戦後は農林省による干拓が行われた。一方、倉敷南部や水島でも多くの新田が開発され、第二次世界大戦後は水島で臨海工業用地が大規模に造成された。岡山県の経済活動の中心で、豊かな穀倉地帯であり、また岡山市、倉敷市が商業の中心をなし、臨海部は工業が発達している。

[由比浜省吾]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡山平野」の意味・わかりやすい解説

岡山平野
おかやまへいや

岡山県南部,岡山・倉敷両市周辺に広がる瀬戸内海沿岸の平野。面積約 230km2。北は吉備高原,南は児島半島の丘陵に接する。吉井川,旭川,高梁 (たかはし) 川などの河川が運搬した土砂の堆積によって形成された沖積平野であるが,南部には児島湾干拓地や水島地区などの埋立て地がある。平野北部は吉備文化発展の舞台となった地域で,巨大な古墳や古代の条里制の地割などが残存し,当時から農業が進んだ地域であった。近世以来岡山平野は,備前米,綿花,イグサの産地であったが,明治以後,平野北側の丘陵では果樹 (モモ,ブドウ) の栽培が盛ん。特に温室ブドウのマスカットは全国生産高の大部分を占める。南部の児島湾沿岸の干拓地には,第2次世界大戦前から機械化農村として知られた旧興除村や資本主義的農場経営を行なった旧藤田村がある。明治以後,綿紡績,学生服,農機具,レーヨンなどのほか花莚,畳表などの農村工業が発達し,戦後水島臨海工業地域が形成され,都市化が急速に進んだ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「岡山平野」の意味・わかりやすい解説

岡山平野【おかやまへいや】

岡山県南部,瀬戸内海に面する平野。面積約230km2吉井川旭川高梁(たかはし)川などの沖積平野で,児島湾は干拓されている。米,野菜の産が多く,イグサ栽培も古くから盛ん。平野の北部では桃,ブドウ,ナシなどを多産。岡山市,倉敷市を中心に工業地域を形成する。
→関連項目岡山[県]灘崎[町]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android