岩下方平(読み)いわした・まさひら

朝日日本歴史人物事典 「岩下方平」の解説

岩下方平

没年:明治33.8.15(1900)
生年:文政10.3.15(1827.4.10)
幕末薩摩(鹿児島)藩士,明治政府の官僚。父は岩下典膳。安政の大獄の最中の安政6(1859)年,江戸にあって水戸浪士と提携し井伊幕政の打倒を図り挫折,帰藩。同年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。江戸詰側用人となり,文久3(1863)年9月,薩英戦争の善後処理につき正使として折衝。慶応1(1865)年家老。同3年1月渡仏,藩の使節としてパリ万国博覧会に臨み薩摩琉球国太守政府の名で出品,外交面で幕府に対抗した。9月帰国。11月島津忠義の率兵上洛に従い,王政復古で誕生した新政府参与、外国事務判事、刑法官,留守次官。明治2(1869)年賞典禄1000石を受ける。以降,京都府権知事,大阪府大参事,元老院議官,貴族院議員

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩下方平」の意味・わかりやすい解説

岩下方平
いわしたほうへい

[生]文政10(1827).3. 鹿児島
[没]1900.8.15. 東京
明治初期の外政家。薩摩藩士で通称は佐次右衛門。藩の精忠組に属した。生麦事件のとき,藩家老の代理としてイギリスとの交渉に加わり,慶応2 (1866) 年には,同藩の海外密航留学生として渡仏。帰国後,王政復古に際して参与となり,明治1 (68) 年,新政府外国事務掛,大阪府判事を歴任して,攘夷事件など困難な外交交渉に尽力翌年,刑法官判事に転じ,さらに京都留守官の次官となる。同3年,京都府権知事,のち大阪府大参事を歴任。 1878年元老院議官。 87年子爵。 90年貴族院議員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩下方平」の解説

岩下方平 いわした-まさひら

1827-1900 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政10年3月15日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薩英戦争の講和談判の正使をつとめる。慶応元年家老。2年パリ万国博に藩の使節として渡仏。王政復古後,藩を代表して参与となる。のち大阪府大参事などをへて,明治11年元老院議官,23年貴族院議員。明治33年8月15日死去。74歳。通称は左次右衛門。名は「みちひら」ともよみ,別に方美とも。

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