岩倉具経(読み)いわくら・ともつね

朝日日本歴史人物事典 「岩倉具経」の解説

岩倉具経

没年:明治23.10.17(1890)
生年嘉永6.6.17(1853.7.22)
岩倉具視の3男。母は家女房野口槙子。明治1(1868)年戊辰戦争に際し,16歳で東山道鎮撫副総督(総督は兄具定)を命ぜられて江戸へ進撃,江戸開城後奥羽征討白川口副総督(総督具定)に転じて奥羽平定に出発するが,まもなくこれを兄と共に辞した。1年堂上に列して40石の禄を与えられ,翌2年賞典禄200石を軍功により給せられた。3年具定と共に米国へ留学,11年初めに帰国し,以後太政官,大蔵省,外務省に勤務,17年男爵を授けられた。同年外務書記官となり駐ロシア日本公使館在勤,21年帰国後北白川宮別当,帝室制度取調委員,宮中顧問官を勤めた。

(上野秀治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩倉具経」の解説

岩倉具経 いわくら-ともつね

1853-1890 明治時代官僚
嘉永(かえい)6年6月17日生まれ。岩倉具視の3男。戊辰(ぼしん)戦争では東山道鎮撫(ちんぶ)副総督,奥羽征討白河口副総督。明治元年一家を創立。3年兄具定とアメリカに留学し11年に帰国。17年外務書記官としてロシア公使館に勤務した。23年宮中顧問官。明治23年10月17日死去。38歳。

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