岩橋武夫(読み)いわはしたけお

改訂新版 世界大百科事典 「岩橋武夫」の意味・わかりやすい解説

岩橋武夫 (いわはしたけお)
生没年:1898-1954(明治31-昭和29)

盲人福祉に寄与した社会事業家。大阪生れ。早稲田大学時代に失明して中退関西学院大学に転じ,エジンバラ大学を卒業。帰国後,関西学院大学などで教鞭をとる一方,1935年日本で最初,世界で13番目の盲人福祉施設,ライトハウスを大阪に創設した。その間2度の渡米により,ヘレン・ケラー親交を結び,ヘレンケラー日本招待に尽力した。第2次大戦後,身体障害者福祉法成立以前の被占領期にあっては,連合国最高司令官総司令部の障害者政策の基盤づくりに高木憲次(1889-1963)らとともに協力した。大阪盲人協会会長を務め,日本盲人会連合,日本盲人福祉協議会の結成に尽力,中央身体障害者福祉審議会,世界盲人福祉協議会の委員としても指導的地位に立って幾多の業績を残した。
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百科事典マイペディア 「岩橋武夫」の意味・わかりやすい解説

岩橋武夫【いわはしたけお】

社会事業家。大阪府出身。早稲田大学在学中に失明して中退,関西学院大学を経てエディンバラ大学宗教哲学純粋哲学を学ぶ。1931年初代大阪盲人協会会長となる。ライトハウス創設者のマザー夫人の著書に触発され,1935年世界で13番目のライトハウスを大阪に創設(現在の日本ライトハウス)。第2次世界大戦後は身体障害者福祉法制定に尽力。ヘレン・ケラーと親交があり,1937年,1948年と来日させた。盲目の作家ジョン・ミルトンの研究者。著書は《光は闇より》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩橋武夫」の解説

岩橋武夫 いわはし-たけお

1898-1954 昭和時代の社会事業家。
明治31年3月16日生まれ。早大在学中に失明し中退。関西学院大卒業後,イギリス留学。帰国後,母校でおしえる。昭和10年大阪に日本最初の盲人福祉施設ライトハウスを設立。ヘレン=ケラーを日本にまねき,日本盲人会連合などの結成や,身体障害者福祉法の制定につくした。昭和29年10月28日死去。56歳。大阪出身。著作に「光は闇(やみ)より」など。

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世界大百科事典(旧版)内の岩橋武夫の言及

【ライトハウス】より

…マザー夫人は,29年に来日してライトハウス建設を呼びかけた。イギリス留学中にマザー夫人の著書に接した岩橋武夫は,日本にもライトハウス作り運動を起こす必要性を痛感し,36年マザー夫人を招いて啓発運動を行い,大阪に世界で13番目のライトハウスを創設した(1952年,日本ライトハウスとなった)。以来,盲人の実態調査,失明防止,盲人福祉思想の啓発を三つの目標とした〈ライトハウス〉と称する盲人福祉施設が日本各地に建設され,97年末現在,日本ライトハウス(大阪)のほか,札幌,山梨,名古屋,京都,鳥取県,島根,佐賀,岡山の各ライトハウスが,社会福祉事業法に基づく社会福祉法人として認可を受けて活動を続けている。…

※「岩橋武夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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