出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「岩瀬」の意味・読み・例文・類語
いわ‐せ〔いは‐〕【岩瀬/▽石瀬】
石の多い川瀬。
「直に行かず此ゆ巨勢路から―踏み求めぞわが来し恋ひてすべなみ」〈万・三三二〇〉
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岩瀬
いわせ
神通川の河口、現在の東岩瀬・西岩瀬一帯で、「和名抄」の新川郡石勢郷の遺称地とされる。古代北陸道の駅として磐瀬駅、歌枕として石瀬野・岩瀬渡があるなど、古くから開けていた。中世の岩瀬は神通川右岸に位置したが、近世初期神通川の流路が東遷したことにより、右岸に新川郡東岩瀬村、左岸に婦負郡西岩瀬村が位置することになった。
「義経記」巻七には「六道寺の渡」「岩瀬の渡」から宮崎(現朝日町)と順路が記され、説経節「をぐり」ではその逆コースが示されている。永正一五年(一五一八)に伊達政宗の家臣頤神軒存は渡銭の支払場所について、順路に従い、「水はしのわたしもり」「いはせのわたしもり」「はすぬまのふなもり」と記している(同年一一月三日「頤神軒存算用状」伊達家文書)。また延徳三年(一四九一)三月に越中を旅した冷泉為広・細川政元一行は、「アシアライ里、ウチデ里、シバクサ、ヨカタ里、イハセ渡、大河アリ、里 カミイハセ、ナカエノ木里」とたどっている(越後下向日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岩瀬
いわせ
富山市北部,神通川河口の港町で,富山港の所在地。元和1 (1615) 年加賀藩の積卸港となり,日本海の海上交通の要衝として北海道,瀬戸内海方面への回漕業で栄えた。また漁業の町としても繁栄。河口港で土砂の堆積が著しく,大型船舶の出入りができないため,1918年神通川改修工事に着手,河口と港を分離し 33年完成。 39年富山港として開港。原油,原木,石油製品などの取扱いが多い。背後地は重化学工業地区となっている。浜は夏には海水浴場としてにぎわう。
岩瀬
いわせ
福島県中部,須賀川市北西部の旧村域。郡山市の南に接する。1955年白方村と白江村が合体して岩瀬村が成立。2005年須賀川市に編入。新安積疏水(→安積疏水)によって水田が広がり,米作が中心。キュウリ,花卉などの園芸農業やコイの養殖も行なわれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報