岸本英夫(読み)きしもとひでお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸本英夫」の意味・わかりやすい解説

岸本英夫
きしもとひでお
(1903―1964)

宗教学者。日本における比較宗教学の開拓者の一人岸本能武太(のぶた)の次男として、兵庫県に生まれる。東京帝国大学文学部で姉崎正治(あねさきまさはる)に学ぶ。1930年(昭和5)アメリカに留学し、のち東京大学文学部教授となる。神秘主義修行宗教心理学から解明しようとし、インドヨーガ、日本の修験道(しゅげんどう)を研究。さらに経験科学としての宗教学方法論の確立に努め、それは晩年の『宗教学』(1961)に示されている。また書斎学者にとどまらず、柔軟な構想力と旺盛(おうせい)な行動力で、アメリカ占領下の宗教行政や国際的文化交流、大学図書館の近代化などの事業に献身した。晩年は癌(がん)に冒されながらも研究を続け、その間の心の動揺と安定を率直に述べた文章を発表し、人々に感動を与えた。『死をみつめる心』(1964)にそれらを収める。

[柳川啓一 2016年10月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岸本英夫」の意味・わかりやすい解説

岸本英夫
きしもとひでお

[生]1903.6.27. 兵庫,明石
[没]1964.1.25. 東京
宗教学者。父は明治・大正期の宗教学者であった岸本能武太。 1926年東京帝国大学を卒業したのち,30年ハーバード大学に留学。宗教心理学を学ぶかたわらインドの神秘思想ヨーガの研究を行い,31~34年同大学日本学科講師となる。帰国後東大講師に就任。 47年文学博士号を取得し,東大教授となり,付属図書館長もつとめた。 53~54年,スタンフォード大学客員教授として渡米したが,54年に癌におかされ,10年間の闘病生活ののち他界した。その間にも,シカゴ大学をはじめ欧米諸大学で講義をし,またハワイでの東西哲学者会議に出席するなど激務をこなしながら,宗教学の体系化を試みるという重要な貢献を日本の宗教学界に対して行なった。主著『宗教現象の諸相』 (1949) ,『人間と宗教』 (55,編著) ,『文化の心理』 (59,編著) ,『宗教神秘主義』 (59) ,『宗教学』 (61) ,『死を見つめる心』 (64) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸本英夫」の解説

岸本英夫 きしもと-ひでお

1903-1964 昭和時代の宗教学者。
明治36年6月27日生まれ。岸本能武太(のぶた)の次男。昭和5年渡米し,ハーバード大で宗教心理学をまなぶ。22年東大教授。宗教神秘主義,修験(しゅげん)道などを研究し,日米間の学術交流につとめた。昭和39年1月25日死去。60歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に「宗教学」,闘病記に「死をみつめる心」。
格言など】死を前にして大いに生きるということが,私の新しい出発になった(「わが生死観」)

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