岸派(読み)きしは

精選版 日本国語大辞典 「岸派」の意味・読み・例文・類語

きし‐は【岸派】

〘名〙 京都日本画流派一つ。江戸後期、岸駒(がんく)が起こす。中国沈詮(ちんせん)はじめ各流を折衷し、写生を重んじ、好んで虎を描いた。主な門人河村文鳳横山華山など。

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デジタル大辞泉 「岸派」の意味・読み・例文・類語

きし‐は【岸派】

日本画の流派の一。岸駒がんくを祖として、江戸後期から明治期に栄えた。各流派を折衷し、あくの強い独特の写生画風で知られる。主な画家は、岸駒の長男岸岱がんたい河村文鳳かわむらぶんぽう・横山華山。

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改訂新版 世界大百科事典 「岸派」の意味・わかりやすい解説

岸派 (きしは)

江戸時代後期から明治期に至る京都画壇の一派岸駒(がんく)に始まり,子の岸岱(がんたい)(1782-1865),養子岸良(1798-1852)が受けつぎ,祖風を守って四条派(円山四条派)に対抗した。岸駒の門人に岸連山(1804-59)が出,家法に四条派の写生画法を折衷して新生面をひらいた。さらに連山の養子となった岸竹堂(1826-97)は近代的な視覚も取りいれて幅広い画風を生み,幸野楳嶺,森寛斎と並ぶ明治期の京都画壇を代表する画家となったが,楳嶺門下に竹内栖鳳が,寛斎門下に山元春挙が出たのに比べ,逸材に恵まれずに終わった。岸家は代々有栖川宮家に仕え,1790年,1855年の御所造営に伴う障壁画制作に参画した。岸駒門下には横山華山,《画乗要略》(1831)を著した白井華陽が,連山門下には巨勢小石らが輩出した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸派」の意味・わかりやすい解説

岸派
きしは

江戸後期から明治にかけての画派。始祖岸駒(がんく)(1839没)は表出性の強い画風で知られ、その長男岸岱(がんたい)(1782―1866)をはじめ、河村文鳳(ぶんぽう)、横山華山、『画乗要略』の著者白井華陽ら、多くの門弟を擁して京都画壇に一勢力を形成した。岸駒の養子岸連山(きしれんざん)(1804―1859)は四条派の画風を加味して癖の強い家風を変容させ、彼に学んでのち養嗣子(ようしし)となった岸竹堂(きしちくどう)(1826―1897)は、この派の特技である虎(とら)や鳥獣だけでなく、洋画陰影や遠近法を取り入れた写実的な風景画なども描いている。実質的に岸派はこの竹堂をもって終わるが、竹堂は森寛斎、幸野楳嶺(こうのばいれい)らと並んで明治の京都画壇に重きをなした。また、望月派(もちづきは)の望月玉川も岸駒に学んで、四条派と岸派が融合した画風をみせている。

[星野 鈴]


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