岸連山(読み)きし れんざん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸連山」の解説

岸連山 きし-れんざん

1804-1859 江戸時代後期の画家
文化元年生まれ。京都の人。岸駒(がんく)に師事し,養子となって岸派をつぐ。文政6年有栖川宮(ありすがわのみや)家につかえる。初期の装飾的な画風から,晩年は四条派の温和なものにかわった。門下岸竹堂,巨勢小石(こせの-しょうせき)がいる。安政6年死去。56歳。本姓青木。名は昌徳。字(あざな)は士道,士進。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岸連山の言及

【岸派】より

岸駒(がんく)に始まり,子の岸岱(がんたい)(1782‐1865),養子岸良(1798‐1852)が受けつぎ,祖風を守って四条派(円山四条派)に対抗した。岸駒の門人に岸連山(1804‐59)が出,家法に四条派の写生画法を折衷して新生面をひらいた。さらに連山の養子となった岸竹堂(1826‐97)は近代的な視覚も取りいれて幅広い画風を生み,幸野楳嶺,森寛斎と並ぶ明治期の京都画壇を代表する画家となったが,楳嶺門下に竹内栖鳳が,寛斎門下に山元春挙が出たのに比べ,逸材に恵まれずに終わった。…

※「岸連山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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