島津伊久(読み)しまづ・これひさ

朝日日本歴史人物事典 「島津伊久」の解説

島津伊久

没年:応永14.5.4(1407.6.9)
生年貞和3/正平2(1347)
南北朝時代の薩摩国(鹿児島県)守護。師久の嫡子。上総介。父師久から貞治5/正平21(1366)年に同守護職を譲渡され,薩摩郡碇山城(川内市)を拠点とし山門院など薩摩国中北部を領した。が、鹿児島郡を掌握していた大隅国(鹿児島県)守護島津氏久は薩摩国内で軍事動員を九州探題今川了俊を通じて行っており,伊久と氏久は領国経営で補完的な関係にあった。永和1/天授1(1375)年の少弐冬資謀殺事件を契機に薩摩・大隅両国守護は了俊の手にわたるが,永徳2/弘和2(1382)年薩摩国守護に復職すると,子息守久と対立し,家宝類を陸奥守島津元久に譲渡した。奥州家による守護領国形成を認知した人物といえよう。没日には,4月6日(5月13日)との説もある。<参考文献>山口隼正「薩摩国守護」(『南北朝期九州守護の研究』)

(福島金治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津伊久」の解説

島津伊久 しまづ-これひさ

1347-1407 南北朝-室町時代の武将
貞和(じょうわ)3=正平(しょうへい)2年生まれ。島津師久(もろひさ)の長男。総州家島津氏2代。父から薩摩(さつま)守護職をつぐ。一時守護職を九州探題今川了俊にうばわれたが,のち復職。南北朝合一後,子の守久と不和となり,奥州家2代島津元久の調停をうける。のち元久と対立(応永の内訌(ないこう)),劣勢のうちに応永14年5月4日(一説に4月6日)死去。61歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島津伊久」の意味・わかりやすい解説

島津伊久
しまづこれひさ

[生]正平2=貞和3(1347)
[没]応永14(1407).5.4.
南北朝時代末期の薩摩守護。師久の長子。正平 21=貞治5 (1366) 年守護職を受継ぎ,上総介を称した。天授2=永和2 (76) 年守護職を没収され九州探題今川了俊に代られた。

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