崑曲(読み)こんきょく

精選版 日本国語大辞典 「崑曲」の意味・読み・例文・類語

こん‐きょく【崑曲】

〘名〙 中国演劇の一つ。明の嘉靖・隆慶年間(一五二二‐七二)、江蘇省崑山魏良輔(ぎりょうほ)が南曲系の海塩腔、弋陽腔(よくようこう)などを基に作り出した。明代末期から清代中期まで中国演劇の主流をなす。京劇をはじめ中国地方劇の多くに多大な影響を与えた。崑山腔。崑腔崑劇

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デジタル大辞泉 「崑曲」の意味・読み・例文・類語

こん‐きょく【×崑曲】

中国古典劇の一。明の嘉靖年間(1522~1566)に江蘇省崑山の魏良輔ぎりょうほ創始。明末期から清中期まで流行し、京劇その他に大きな影響を与えた。崑腔こんこう。崑劇。

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普及版 字通 「崑曲」の読み・字形・画数・意味

【崑曲】こんきよく

戯曲の名、崑山、また、崑という。明の嘉靖以来州に起こり、清の雅部に入って盛行を極めた。〔聊斎志異、張貢士〕忽(たちま)ち見る、心頭小人の出づるり。長(たけ)かに尺、冠儒俳優を作(な)し、崑山曲を唱ふ。徹なり。

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改訂新版 世界大百科事典 「崑曲」の意味・わかりやすい解説

崑曲 (こんきょく)
Kūn qǔ

京劇以前,中国の南北で最も流行した演劇。崑劇,崑腔ともいう。開祖は魏良輔とされ,16世紀中期,彼は江蘇省崑山の曲調にそれまでの南北曲を取りいれ,繊細婉転たる“ふし”を創造した。さらに伴奏に笛,簫,笙,琵琶打楽器を含め,各種の伝統演芸をも吸収して整備した演劇を形成した。梁辰魚《浣沙記》の成功以後,多数の作品が生まれた。17世紀より見取り狂言が流行して舞台が精緻になり,舞台衣装・道具の美化役柄の細分化,歌舞と内容の結合の深化,隈取りの多様化がすすんだ。李漁《閑情偶寄》などの演劇論や《綴白裘(てつはつきゆう)》などの演出本,1746年(乾隆11)刊《九宮大成譜》に歌詞・音譜が公開されているのも特徴である。18世紀後半より衰微したが,北京に残留して北方語を用いるのを北方崑曲という。崑曲は京劇,川劇など多くの地方劇に影響を与えた。解放後,1961年《十五貫》が大評判となり再び脚光を浴び,64年には現代革命劇の《瓊花(けいか)》も試みられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「崑曲」の意味・わかりやすい解説

崑曲
こんきょく
Kun-qu

中国の古典戯曲の一派。「崑腔」「崑山腔」ともいう。中国の戯曲は古くは「北曲」と「南曲」の2系統があり,嘉靖 (1522~67) の頃に北曲は衰微し,南曲が盛んであった。崑曲は南曲から出たもので,嘉靖の初め頃,崑山地方 (江蘇省) で,魏良輔 (1522以前~72頃) が海塩腔,弋陽腔 (よくようこう) など他の南曲や北曲の長所を取入れて大成した。南方はもとより都の北京でも行われるようになり,笛を主とする優美な伴奏と,複雑な旋律,声楽の技巧によって,元曲よりはるかに発達した戯曲となった。特に 17~18世紀は全盛で,中国全国の舞台はほとんど崑曲派の独占するところとなり,『還魂記』『長生殿』『桃花扇』など明末清初の名作はすべて崑曲の音律で歌われる戯曲である。 18世紀末にいたり,「皮黄腔」という唱腔が興るに及んで,ようやく衰退に向った。 20世紀に入るとまったくふるわなくなり,「京劇」のなかにその名残りがみられるにすぎなくなった。現代になって幾度か復興運動があったが,解放後,北方の「崑曲劇院」,浙江の「崑蘇劇団」などができて,その上演が試みられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「崑曲」の意味・わかりやすい解説

崑曲
こんきょく

中国の歌曲の腔調(こうちょう)(節回し)の一つ。またそれが歌われる芝居をいう。明(みん)の嘉靖(かせい)年間(1522~66)に江蘇(こうそ)の崑山(こんざん)の魏良輔(ぎりょうほ)が、従来のメロディにくふうを加えて創始した。崑山腔ともいう。梁辰魚(りょうしんぎょ)がこの腔調にあわせて戯曲『浣紗記(かんさき)』を書いて好評を博し、また曲律を重んずる沈璟(しんえい)らの呉江派が、崑曲によるべきことを主張したこともあって、広い地域に急速に流行した。清(しん)の乾隆(けんりゅう)年間(1736~95)以降北京(ペキン)を中心に京劇が流行するが、そのころまでは崑曲が劇界の主流を占めていた。他の地方劇を花部とよぶのに対し、崑曲が雅部と称されたのは、音調が優雅で、読書人に好まれたからである。

[岩城秀夫]

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世界大百科事典(旧版)内の崑曲の言及

【戯文】より

…最も著名なのは江西臨川の湯顕祖で,《紫釵記》《還魂記》《南柯記》《邯鄲記》の作があり,中でも《還魂記》は文辞構成ともにすぐれ,かつ恋愛の自由な姿を謳歌したので,天下の子女の喝采を博した。 ところで,歌辞をうたうには土地によって流派を異にし,発祥の地名を冠して海塩腔・弋陽腔(よくようこう)・余姚腔などと称していたが,嘉靖年間に崑山の魏良輔がはじめた崑曲の調べが好評で,急速に各地に伝播した。曲律を重んずる劇作家の沈璟は,専ら崑曲によって戯曲を書くことを主張し,梁辰魚が崑曲に合わせて作った《浣紗記》は,世人の耳を喜ばせ,崑曲の勢力を伸張した。…

【中国演劇】より

…元雑劇にみられたような,素朴な民衆生活に取材した作品や,庶民感情に根ざすはつらつとした精神は失われ,かわって歴史上の著名な人物故事を扱って,理想的な一対の〈才子佳人〉の悲歓離合・再会団円のさまを描こうとし,表現はもっぱら典雅に傾いて,詞藻の美を追求する傾向を深めてゆく。 嘉靖年間(1522‐66)の初め,蘇州崑山地方の〈崑腔(崑曲)〉が魏良輔によって大改良されるや,その清柔優美なメロディは文人の好尚にすこぶるかない,従来の海塩腔,弋陽(よくよう)腔,余姚(よよう)腔等をおさえてはやり出し,これを用いて作られた梁辰魚の《浣紗記》により,決定的な流行をみるようになった。続く万暦年間(1573‐1619)にもっとも傑出した作家が湯顕祖で,彼の代表作《還魂記》は南戯の最高傑作とされ,典雅艶麗な文辞と巧みな構成とを得て,曲折波瀾にとんだ甘美な才子佳人劇の一極致を描いた。…

※「崑曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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