川平貝塚(読み)かびらかいづか

日本歴史地名大系 「川平貝塚」の解説

川平貝塚
かびらかいづか

[現在地名]石垣市川平

川平かびら集落を見下ろす標高約五〇メートルの獅子岡しいしいむりい、標高約六九メートルの仲間岡なかまむりいという二つの円錐形をした小丘を中心に立地する。遺物は丘陵上の平坦部から中腹にかけて広範囲に広がる。一五―一六世紀頃の古琉球の集落遺跡で、一九〇四年(明治三七年)に発見され鳥居龍蔵によって獅子岡付近の発掘調査が行われた。土器のほか青磁および石斧・凹石・石杵・石台(石皿)、貝皿・貝殻、獣魚骨などが出土。とくに注目されたのは土器で、沖縄島以北の縄文土器とは明らかに別系統の土器であることが指摘され、口縁部下に水平状の外耳把手を貼付していることから「外耳土器」と命名された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「川平貝塚」の解説

かびらかいづか【川平貝塚】


沖縄県石垣市川平にある貝塚。石垣島の北西、川平湾と崎枝湾を仕切るように北に突出する半島中央部の低い独立した丘に所在する。八重山諸島で初めて発見された遺跡で、沖縄諸島の文化とは異なる、15~16世紀の八重山を知るうえで重要な遺跡とされ、1972年(昭和47)に国の史跡に指定された。遺物は中腹から頂上の平坦部にかけて、土器、青磁、石斧(せきふ)、凹石、石杵、石皿、貝皿および貝殻、哺乳動物・魚類の骨が検出された。八重山の土器は縄文文化の系統に属する沖縄本島のものとは明らかに異なり、把手(とって)が水平状に付けられている特徴から「外耳(そとみみ)土器」と命名され、八重山式土器の重要な特徴とされている。遺跡の年代については中国産青磁が出土していることから15~16世紀と推定され、沖縄諸島と異なり、八重山には独自の地域文化が存在していたと考えられている。石垣市から東バス「川平」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の川平貝塚の言及

【川平湾】より

…また,マラリアで廃絶した集落の多い石垣島では,その禍いより生き延びてきた数少ない集落の一つでもある。集落背後には川平貝塚(史)があり,外耳土器のほか,青磁類や南蛮焼類が出土する。【町田 宗博】。…

※「川平貝塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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