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(笠原英彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
明治前期の官吏。警察行政の確立者。天保(てんぽう)5年5月11日薩摩(さつま)藩に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争に参加。1871年(明治4)東京府大属となり邏卒(らそつ)(ポリス)制度の創設に従事、翌年洋行してヨーロッパの警察制度の調査にあたり、帰国後、意見書を提出して、国を強くするためには警察制度を確立しなければならないと主張した。1874年1月東京警視庁が創設されるや大警視となり、内務卿(ないむきょう)大久保利通(おおくぼとしみち)のもとで警察機構の確立に取り組んだ。西南戦争(1877)に際しては陸軍少将を兼ねて出征。戦後、再度洋行したが病をもって中途帰国し、明治12年10月13日病没した。
[大日方純夫]
『鈴木蘆堂著『大警視川路利良君伝』(1912・東陽堂)』▽『神川武利著『大警視・川路利良――日本の警察を創った男』(2003・PHP研究所)』
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… 日本の警察についての考え方は,大陸系の諸国における伝統的理解を引き継ぎ,それをむしろ日本的に脚色する形で成立した。たとえば日本の警察制度の創設者である川路利良は,〈海陸軍ハ外部ヲ護スル用兵ナリ,警察ハ内部ヲ補フ薬餌ナリ〉と述べ,警察と国民の関係は,〈一国ハ一家ナリ,政府ハ父母ナリ,人民ハ子ナリ警察ハ其保傅ナリ〉と説明している。ここでは,国民は,子供=未成年者であり,警察は,国民=未成年者の保育者としてとらえられている。…
…72年8月司法省に移管。同年9月より大警視川路利良がヨーロッパで警察制度の調査に従事し,73年9月警察制度改革に関する建議書を提出,首都警察の政府直属を主張した。これが折から征韓論政変によって主導権を握った大久保利通の認めるところとなって,73年11月新設の内務省のもとで警察制度の抜本的改革が進められた。…
…以来東京における唯一の消防組織となった町火消は,72年〈消防組〉と改組されて東京府消防局の監督下に置かれたが,さらに所管は司法省警保寮,東京府,司法省警保寮,内務省警保寮などと転々と移管され,74年創設された東京警視庁の安寧課消防掛を経て,80年6月1日創設の消防本部が消防業務を担当することとなって,体制が固まった。日本の近代的な消防の幕あけは,1872年に江藤新平の随行員として欧州各国に出張し,警察および消防制度を視察して帰国した川路利良の意見とその施策によるところが大きいとされる。74年1月28日には現在の消防組織法および消防法の元祖といえる〈消防章程〉が制定され,フランスからイギリス製の腕用ポンプなどを輸入して機械化を図り,また80年には長年の消防組の習慣の改善をねらいとして,軍隊式消防隊を組織するために消防専門職員である消火卒を300人募集している。…
…維新後,東京府の治安維持にあたった府兵は諸藩から選抜された藩兵であるが,いちじるしく統制に欠け,そのうえ同年7月の廃藩置県で廃止せざるをえなくなった。そこで欧米のポリスを模範に邏卒をおくこととし,取締組を編成,邏卒総長には川路利良が任じられた。3分の2にあたる2000名が鹿児島県士族であること,帯刀を禁じ3尺棒を持たせたのが特徴。…
※「川路利良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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