左近の桜右近の橘(読み)さこんのさくらうこんのたちばな

改訂新版 世界大百科事典 「左近の桜右近の橘」の意味・わかりやすい解説

左近の桜・右近の橘 (さこんのさくらうこんのたちばな)

平安宮内裏の紫宸殿(南殿ともいう)前庭に植えられている桜とタチバナ。左近・右近左近衛府右近衛府略称。左近は紫宸殿の東方に,右近は西方に陣をしくが,ちょうどその陣頭の辺に植えられているのでこの名がある。平安時代末期にできた《古事談》に,南殿の桜はもと梅であって,794年(延暦13)の平安遷都のとき植えられたが,960年(天徳4)の内裏焼亡の際に焼失し,内裏新造のとき,梅に代えて重明親王の家の桜を植えたものであり,タチバナは平安遷都以前,そこに住んでいた橘大夫という人の家に生えていたものである,という話が見える。《続日本後紀》承和12年(845)2月条に,天皇が紫宸殿で酒宴を催したとき,〈殿前之梅花〉を折って髪にさしたとあるので,このころは梅であったことは確かだが,《三代実録》貞観16年(874)8月条に,大風雨で〈紫宸殿前桜〉が倒れたと見えるから,梅から桜に変わったのは,《古事談》のいう天徳の内裏焼亡より前の845-874年の30年間のうちであろう。タチバナについては《日本後紀》大同3年(808)に〈禁中に一株橘樹有り〉と見え,これがいわゆる右近のタチバナを指すとすれば,《古事談》の話もあながち根拠のないものではないことになる。
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世界大百科事典(旧版)内の左近の桜右近の橘の言及

【紫宸殿】より

…額間(がくのま)の南の簀の子に接して正階があり,階の東に桜,西に橘が植えられている。儀式のさいに桜の近くに左近衛が,橘の近くに右近衛が陣をしいたので,左近の桜・右近の橘と呼ばれた。紫宸殿の北の宜陽殿とは二つの渡廊で接しているが,その南側は吹抜けで軒廊(こんろう)と呼ばれ,御占が行われる場所である(軒廊御卜)。…

※「左近の桜右近の橘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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