朝日日本歴史人物事典 「市川八百蔵(初代)」の解説
市川八百蔵(初代)
生年:享保15(1730)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名定花。屋号蓬莱屋。道外形松島茂平次の子。初め松島吉三郎の名で大坂の豊竹蛙井の操座に子役として出ていたが,寛保2(1742)年から子役として江戸中村座に出勤し「拍子事の名人」といわれて評判を取った。延享3(1746)年,2代目市川団十郎の門に入り松島八百蔵と改名,立役となる。このころには,団十郎の養子となっていずれ名跡を継ぐとの噂もあった。寛延2(1749)年,市川八百蔵と改姓。荒事を得意とし,特に曾我五郎の役は2代目団十郎をよく写した芸であったという。半面,色事や濡れ事の演技は不得手であった。2代目八百蔵の妻おるやは,彼の妹である。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期,『新刻役者綱目』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報