帆足杏雨(読み)ほあしきょうう

改訂新版 世界大百科事典 「帆足杏雨」の意味・わかりやすい解説

帆足杏雨 (ほあしきょうう)
生没年:1810-84(文化7-明治17)

江戸末から明治初期の文人画家。名は遠,字は致大。別号に聴秋半農など。豊後戸次(へつぎ)(現,大分県大分市)の資産家に生まれた。帆足家は代々書画を多く蔵し,また頼山陽田能村竹田らが立ち寄って扁額や絵を残している。杏雨は幼少から絵を好み竹田に学んだが,のち京に上って多くの文人らと交わり,独自の画風を形成する。山水画を得意とし,弘化年間(1844-48)に朝廷の命で制作し,72年にはウィーンの万国博に《耶馬渓図》を出品した。帆足万里,頼山陽広瀬淡窓らに儒学詩文を学んでいる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「帆足杏雨」の解説

帆足杏雨 ほあし-きょうう

1810-1884 江戸後期-明治時代の画家
文化7年4月15日生まれ。家は豊後(ぶんご)(大分県)戸次(へつぎ)の大庄屋田能村(たのむら)竹田,浦上春琴に師事し,元(げん)・明(みん)(中国)の文人画にもまなぶ。帆足万里(ばんり),広瀬淡窓,頼山陽らとまじわる。明治17年6月9日死去。75歳。幼名は熊太郎,庸平。名は遠。字(あざな)は致大。別号に聴秋,半農。作品に「風雨山水図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「帆足杏雨」の解説

帆足杏雨

没年:明治17.5.16(1884)
生年:文化7(1810)
幕末明治の南画家。名は遠,字は致大,号は杏雨,聴秋,半農など。豊後(大分県)戸次の人。田能村竹田,浦上春琴から絵を,帆足万里,広瀬淡窓から儒学,詩文を学び,若年ころには京坂に遊学。<著作>『聴秋閣模古式』

(星野鈴)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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