帝国学士院(読み)ていこくがくしいん

精選版 日本国語大辞典 「帝国学士院」の意味・読み・例文・類語

ていこく‐がくしいん ‥ガクシヰン【帝国学士院】

〘名〙 旧制で、文部大臣の管理に属し、学術発達を図ることを目的とし、学界権威者で組織した機関。明治一二年(一八七九)創設の東京学士会院前身として同三九年に設立定員は一〇〇名で、第一部(文学・社会的諸学科)と第二部(理学・その応用諸学科)とに分かれ、会員勅旨により任命された。昭和二四年(一九四九日本学術会議に吸収され、さらに同三一年分離独立して日本学士院となった。

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デジタル大辞泉 「帝国学士院」の意味・読み・例文・類語

ていこく‐がくしいん〔‐ガクシヰン〕【帝国学士院】

学術の発達を図ることを目的に、明治39年(1906)文部大臣管理下に設置された最高学術機関。会員は定数100名で、勅任官待遇。日本学士院の前身。

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旺文社日本史事典 三訂版 「帝国学士院」の解説

帝国学士院
ていこくがくしいん

明治〜昭和期,学術振興を目的とした学界最高の団体
1879年設置の東京学士会院が前身。1906年帝国学士院に改組。文部大臣の所管勅選による60名の終身会員で構成され,第1部(文),第2部(理)に分かれ,会員の互選により4名の勅任貴族院議員を出した。'47年日本学士院と改称

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世界大百科事典(旧版)内の帝国学士院の言及

【日本学士院】より

…かくて,文部省は明六社系の学者たちの協力を得て,東京学士会院を設立したのである。このように,東京学士会院はいわば学術上の〈鹿鳴館〉として誕生したわけであり,設立当初はさしたる内実をもたなかったのは当然であったが,万国学士院連合Union académique internationale(略称UAI)への加盟を契機に,1906年には帝国学士院へと改組され,しだいに学術機関としての体裁を整えるにいたった。すなわち,10年皇室からの下賜金を基金に制定された恩賜賞や,翌11年財閥からの寄付金により設けられた学士院賞などの授賞制度は学士院の権威を高めたし,各種の研究補助金は学術振興に一定の役割を果たした。…

※「帝国学士院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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