朝日日本歴史人物事典 「常磐津文字兵衛(初代)」の解説
常磐津文字兵衛(初代)
生年:天保10(1839)
江戸後期から明治にかけての常磐津節の三味線方。本名富坂文字兵衛。はじめ太夫で八十太夫,のち三味線方に転じて八十松。万延1(1860)年常磐津・岸沢の分裂で常磐津姓の三味線方となり,文久2(1862)年9月文字兵衛を名乗る。翌年6代目小文字太夫の立三味線となり,その没後は2代目松尾太夫(のち初代常磐津林中)の三味線方を勤める。両派分裂時の常磐津派の新作浄瑠璃の多くは,この人の作曲であろう。晩年は文佐を名乗る。
(安田文吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報