常磐津文字太夫(初代)(読み)ときわづ・もじたゆう

朝日日本歴史人物事典 「常磐津文字太夫(初代)」の解説

常磐津文字太夫(初代)

没年:天明1.2.1(1781.2.23)
生年:宝永6.7(1709.1)
江戸中期の常磐津節の創始者京都の人。本名駿河屋文右衛門。号は松根亭,松寿斎。宮古路豊後掾門人で,はじめ右膳といったらしい。享保19(1734)年ごろ江戸に下り,豊後掾のワキを語った。元文1(1736)年2月に立語りとなり,市村座で「傾城小夜の中山」を語ったが,同年3月27日に禁止され,さらに同年9月豊後節の町家での稽古が禁止され,4年9月(一説に10月)には豊後節は江戸では全面禁止となってしまった。しかし,その後も江戸にとどまり,寛保3(1743)年江戸三座に復帰。延享4(1747)年10月関東を名乗ろうとしたが,これを差し止められたので,さらに改姓して同年11月中村座顔見世で常磐津を名乗った。宝暦3(1753)年春,市村座での「鐘入妹背俤」の出語りで大当たりし,同年11月からは京帰りの作者壕越二三治と提携し,「芥川紅葉柵」など次々と評判作を作り,浄瑠璃を地とする劇舞踊の流行を作り出した。富本などの分裂騒動を乗り越え,常磐津節の地歩を固め,安永4(1775)年の一世一代で隠退した。<参考文献>岩沙慎一『江戸豊後浄瑠璃史』,安田文吉『常磐津節の基礎的研究』,安田文吉『常磐津節の基礎的研究』

(安田文吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常磐津文字太夫(初代)」の解説

常磐津文字太夫(初代) ときわず-もじたゆう

1709-1781 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
宝永6年生まれ。常磐津節の創始者。京都の仏具商。宮古路国太夫半中(豊後掾(ぶんごのじょう))の弟子。初名は右膳。師とともに江戸にいき,宮古路文字太夫を名のる。豊後節禁圧のため師が京都へもどった後も江戸にとどまり,延享4年常磐津節として独立した。安永10年2月1日死去。73歳。通称は駿河屋文右衛門。

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