ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常磐津松尾太夫(3世)」の意味・わかりやすい解説
常磐津松尾太夫(3世)
ときわずまつおだゆう[さんせい]
[没]1947.7.13. 東京
常磐津節の浄瑠璃方(太夫)。本名福田兼吉。1895年 7世岸沢式佐に師事し,常磐津小和登太夫,1900年 2世常磐津三登勢太夫を名のり,翌 1901年3月東京新富座における 1世中村吉右衛門の『法界坊』で初めて劇場に出勤。のち明治の邦楽界を代表する名人とうたわれた常磐津林中の門に入り,1906年に師の前名松尾太夫の 3世を襲名する。劇場向きの大音にして美声で人気を得て,林中没後,大正から昭和前半にかけて第一人者として活躍する。妻は 12世守田勘弥の娘で,6世岸沢式佐の養女岸沢むめ。長男正次は 1926年に常磐津三東勢太夫,二男光吉は 1933年に常磐津千東勢太夫を名のった。三東勢太夫は 50歳過ぎ頃から病気がちであったが,千東勢太夫は 1938年に立語りとなり,父のあとを継いで浄瑠璃方の代表的存在となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報