常葉範貞(読み)ときわ・のりさだ

朝日日本歴史人物事典 「常葉範貞」の解説

常葉範貞

没年正慶2/元弘3.5.22(1333.7.4)
生年:生年不詳
鎌倉末期の六波羅探題北条時範の子。越後守,駿河守を歴任。正和4(1315)年引付衆,元応2(1320)年評定衆となる。元亨1(1321)年六波羅探題北方に就任し,元徳2(1330)年まで在京。在任中に正中の変が勃発し,これに対処。鎌倉下向後,評定衆・引付頭人となったが,幕府滅亡に際し北条高時ら一門と共に自害した。

(森幸夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常葉範貞」の解説

常葉範貞 ときわ-のりさだ

?-1333 鎌倉時代武将
北条時範(ときのり)の子。引付衆,評定衆をへて,元亨(げんこう)元年から10年間六波羅探題北方をつとめる。のち引付頭人となるが,正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年5月22日幕府滅亡の際,北条高時らとともに北条氏代々の墓所東勝寺で自刃(じじん)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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