常陸太田(市)(読み)ひたちおおた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「常陸太田(市)」の意味・わかりやすい解説

常陸太田(市)
ひたちおおた

茨城県北部にある市。1954年(昭和29)太田町が誉田(ほんだ)、佐都(さと)、佐竹(さたけ)、幸久(さきく)、西小沢(にしおざわ)、機初(はたそめ)の6村を編入常陸太田と改称して市制施行。1955年世矢(せや)村と河内村の一部を編入。2004年(平成16)金砂郷町(かなさごうまち)、水府村(すいふむら)、里美村(さとみむら)を編入。北部は福島県と接し、多賀(たが)・久慈(くじ)両山地、久慈川とその支流里(さと)川、山田川の流域平野がある。JR水郡(すいぐん)線、国道293号、349号(棚倉(たなぐら)街道)、461号が通じ、常磐(じょうばん)自動車道の日立南太田インターチェンジが近い。なお、日立電鉄(常北太田―鮎川間)は2005年3月末をもって廃線となり、代替バスが運行されている。

 古く藤原秀郷(ひでさと)の子孫が支配し、のち源昌義(まさよし)が佐竹郷に入って佐竹氏を称してこれにかわり、近世初期の秋田藩移封まで約470年間この地方を支配した。のち徳川水戸藩領となり、東北地方への通路をなした。現在は、北部山間地域の谷口集落として商業が栄えているが、水戸・日立両市の近郊住宅都市化している。農業がおもで、とくにブドウ(巨峰)の特産地。ナシも栽培され、ともに観光果樹園で果物狩りが楽しめる。ほかにコンニャクソバ、大豆(納豆用小粒種)、シイタケなどの栽培や畜産林業も盛ん。赤土(あかつち)地区は1969年(昭和44)に廃作された葉タバコ、水府種起源の地といわれる。また、北部地域は、かつて馬の産地であった。現在も関東有数の広さを誇る里美牧場は肉牛乳牛の飼育を行い、観光施設も備えている。里川には水力発電所が多い。1978年に竜神(りゅうじん)峡にダムが完成した。工業は電気機械工業がわずかに立地する程度であったが、常陸太田工業団地が造成され(1990年分譲開始)、食品、機械などの企業が進出した。

 佐竹寺本堂、西光(さいこう)寺の木造薬師如来坐像(にょらいざぞう)、旧茨城県立太田中学校講堂は国指定重要文化財。西金砂(にしかなさ)神社と東金砂(ひがしかなさ)神社の田楽(でんがく)舞(金砂田楽)は国選択無形民俗文化財に指定され、小田楽が7年目ごと、大田楽(磯出大田楽)は73年目ごと(最近年は2003年)に行われる。また、西金砂神社付近には、1180年(治承4)源頼朝(よりとも)と佐竹秀義(ひでよし)との金砂山合戦のあった佐竹氏の拠城、金砂城跡がある。ほかに、徳川光圀(みつくに)の隠居所西山(せいざん)荘(県史跡)や梵天山(ぼんてんやま)古墳群など史跡、文化財が多い。北東部は花園花貫(はなぞのはなぬき)県立自然公園域で、竜神峡は奥久慈県立自然公園域。面積371.99平方キロメートル、人口4万8602(2020)。

[櫻井明俊]

『『常陸太田市史』全2巻(1979、1981・常陸太田市)』


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