精選版 日本国語大辞典 「常陸山谷右衛門」の意味・読み・例文・類語
ひたちやま‐たにえもん ‥たにヱモン【常陸山谷右衛門】
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(木村庄之助28代)
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明治・大正期の力士。19代横綱。茨城県水戸に生まれた。家は代々藩主の弓・剣道の師範。本名は市毛谷。中学3年のとき進学のため上京したが,勧められて同郷出羽海の門下となり,1891年御西山で初土俵,2年後師名の常陸山と改めた。幕下のとき一時脱走したが,97年帰参してから頭角を現し,十両を1場所で突破して99年1月入幕。1901年大関,03年梅ヶ谷藤太郎とともに横綱免許を受けた。身長174cm,体重146kgの堂々たるアンコ型で,相手の差し手を決めて寄り切る豪放な取口で知られた。梅ヶ谷と並んで〈梅・常陸〉時代といわれる相撲黄金時代を築き,この人気から両国国技館が建てられた。14年に引退,幕内16年31場所中負けはわずか15個,世に〈角聖〉といわれた。師の出羽海を継いで筆頭取締にあげられ,相撲界の向上に尽くすとともに角界随一の大部屋を率いて大錦,栃木山守也,常ノ花の3横綱を育てた。
執筆者:池田 雅雄
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第19代横綱力士。本名市毛で、幼名は谷。現在の水戸(みと)市宝鏡院門前町に生まれ、中学3年のとき出羽海(でわのうみ)部屋に入門。1903年(明治36)6月梅ヶ谷とともに横綱を免許され、「梅・常陸時代」といわれる相撲(すもう)興隆期を築き、天下を二分するその人気は8年後に両国国技館を建設する要因となった。177センチメートル、146キログラムの体格で、取り口は豪放な極(き)め出しを得意とし、攻守に堅実な横綱相撲であった。入幕以来40歳で引退するまでの16年間に、負け星はわずか15にすぎず「明治の角聖」といわれた。14年(大正3)出羽海を継いで取締に就任、社会人としても一流の識見と手腕をもって、力士の品格向上を図った。その後、大錦(おおにしき)、栃木山(とちぎやま)、常ノ花の3横綱をはじめ、三十数人の三役・幕内力士を育成して、一代で出羽海部屋を角界随一の大部屋に発展させた。48歳で病死したが、初の相撲協会葬をもって送られた。
[池田雅雄]
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