幌内炭鉱(読み)ほろないたんこう

日本歴史地名大系 「幌内炭鉱」の解説

幌内炭鉱
ほろないたんこう

石狩川水系幾春別いくしゆんべつ川流域と同川の支流三笠幌内川流域に位置し、明治一二年(一八七九)官営により開鉱した道内最初の大手炭鉱。鉱区は現在の幌内本沢ほろないほんさわ町・幌内中央ほろないちゆうおう町・幌内月光ほろないげつこう町・幌内奔幌内ほろないぽんほろない町・唐松青山とうまつあおやま町など。石狩炭田南部の夕張炭田北端、幾春別地区に属し、炭質は非粘結性の瀝青炭。官営から北海道炭礦鉄道会社(以下北炭と略称)に経営が移った後、同社の夕張炭鉱とともに道内有数の炭鉱となった。古くは幌内煤田または幌向ほろむい煤田、開鉱後は幌内炭山とも称した。幌内炭山は現三笠市の前身三笠町が字名を改正するまで大字幌内村字幌内炭山としても使用された。

明治元年三笠幌内川上流で石炭の露頭が発見され(新北海道史)、米国地質学者B・S・ライマンや榎本武揚らによるイクシベツ、ホロムイ(ホルムイ)などの同六年以降の本格的調査を経て(「北海道巡廻日記」、「ケプロン報文」来曼北海道記事など)開拓使により幌内煤田開採計画が立案された。「開拓使日誌」明治八年六月五日条に「ホロムヰ石炭山開採」の議とあって、「エヘツブト」(現江別市)から鉱山までは草木を伐り払い、道幅一間半ほどで人馬が通行できるよう仮に新道を開き、適宜休泊所を開設するとある。また「ケプロン報文」(来曼測量初期報文)には「幌向煤田ノ石層ハ、多分藍灰色ノ舎児ニシテ、所々ニ化石貝ヲ有セル石炭卵石ヲ含メリ」「幌向、煤田ハ幌向川源ニ近クシテ、札幌ヨリ東北東凡ソ二十七英里ノ所ニアリテ、甚ダ広大ナルベキ煤田ノ一部分タリ」とあり、同報文(モンロー煤炭報文)には「石狩国幌向煤炭」の調査結果が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幌内炭鉱」の意味・わかりやすい解説

幌内炭鉱
ほろないたんこう

北海道三笠市唐松青山町にあった北海道炭礦汽船系の炭鉱。明治1(1868)年発見,1879年国営で開坑,1882年石炭輸送のため小樽手宮-幌内間(90km)鉄道開通,これは北海道最初の鉄道であった。1889年11月北海道炭礦汽船鉄道(のちに北海道炭礦汽船に社名変更)設立と同時に,国から払い下げを受けた。鉱区は夕張炭田の北端で,白亜紀層を基盤とする古第三紀石狩層群に属する幾春別層に十数枚の炭層が存在し,そのうち稼行対象は 9層で,炭丈は 0.8~2.2m,埋蔵炭量 4億7000万t。炭質は不粘結性瀝青炭で一般暖房用である。1975年11月に坑口から深さ 1000mの 7片区域においてガス爆発が発生し 24人死亡,坑内火災が全坑に及んだので消火のため全坑水没させた。1976年4月から揚水を開始し,1977年5月揚水完了,10月から出炭を再開し,1979年には従業員 2130人で年出炭量 99万tを記録したが,1989年9月に閉山した。

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世界大百科事典(旧版)内の幌内炭鉱の言及

【石狩炭田】より

…日本最大の炭田であり,埋蔵量約30億tといわれ,炭質は粘結性原料炭が主であるが,一般炭も産出した。【大橋 脩作】
[歴史]
 石炭の発見は安政年間(1854‐60)とされるが,開発は,アメリカ人のB.S.ライマンによる地質調査ののち,1879年官営幌内炭鉱の開坑に始まる。82年採炭が始まり,同年幌内~手宮間の鉄道も全通し,北海道における近代的炭鉱業が始まった。…

※「幌内炭鉱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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