幕末遣欧使節(読み)ばくまつけんおうしせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幕末遣欧使節」の意味・わかりやすい解説

幕末遣欧使節
ばくまつけんおうしせつ

幕末~明治維新の間に江戸幕府がヨーロッパ諸国に派遣した外交使節。万延1 (1860) 年の遣米使節 (→万延元年遣米使節 ) と明治4 (71) 年の岩倉遣外使節との間に5回を数えた。 (1) 文久1 (61) 年 12月 24日,勘定奉行竹内下野守保徳を正使,外国奉行松平石見守康直を副使として,一行 22名が横浜を出発,フランス,イギリス,オランダプロシア,ロシアおよびポルトガルの6ヵ国を歴訪して,江戸,大坂の両市,兵庫,新潟の両港の開市開港延期を談判し,かつロシアでは樺太国境問題を議し,同2年 12月9日帰国した。 (2) 同3年 12月 29日,外国奉行池田筑後守長発 (ながおき) を正使,同河津伊豆守祐邦を副使として,一行 35名が横浜を出発,鎖港談判のためフランスにおもむいたが,目的を果さず元治1 (64) 年7月 18日帰国,開国の必要を力説ののち譴責を受けた。 (3) 慶応1 (65) 年閏5月5日,外国奉行柴田日向守剛中を特命理事官として横浜を出発,イギリス,フランスで横須賀製鉄所創設のための技師の雇い入れ,機械用具買付けの交渉を行い,同2年1月 26日帰国した。 (4) 同2年 10月 12日,箱館奉行兼外国奉行小出大和守秀実を樺太境界談判使節として,一行 11人をロシアに派遣,樺太の両国共有を取決め,同3年5月8日帰国した。 (5) 同3年1月 11日将軍徳川慶喜の実弟徳川民部大輔昭武 (清水家) 一行 21名がパリ万国博覧会参列のため横浜を出発,フランス駐在公使向山隼人正も同行,パリでは小出一行と邂逅,ナポレオン3世に謁見後,イギリス,スイス,オランダ,ベルギー,イタリアを歴訪,昭武はパリに5年間留学の予定であったが維新の改変を知って明治1 (68) 年 12月3日帰国した。以上のうち (3) を外交使節と数えない説もある。

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