平井希昌(読み)ひらい・きしょう

朝日日本歴史人物事典 「平井希昌」の解説

平井希昌

没年:明治29.2.12(1896)
生年:天保10.1.27(1839.3.12)
幕末長崎奉行所役人,明治初期の外交官。長崎生まれ。英国船乗組の中国人から英語を学び,慶応3(1867)年通弁御用頭取。外国人との折衝などに当たった。明治1(1868)年2月,長崎裁判所の設置により通弁役頭取,『万国公法』を訳す。4年8月外務省に入り,5年のマリア・ルス号事件の際は,外務少丞として神奈川県庁に開廷の臨時法廷に陪席した。6年2月副島外務卿が特命全権大使として,清帝穆宗大婚祝賀および日清修好条規批准書交換のため渡清の際は,2等書記官として随行,活躍した。19年3月,賞勲局書記官に任命され,賞勲制度整備に寄与した。26年12月退官,待命となったが,同時に米国駐在弁理公使に任ぜられ,待命期間中に死去。<参考文献>古川増寿『長崎県人物伝』

(河村一夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平井希昌」の解説

平井希昌 ひらい-きしょう

1839-1896 幕末-明治時代の唐通事,外交官。
天保(てんぽう)10年1月27日生まれ。長崎奉行所の通弁御用頭取などをつとめる。維新後の明治6年副島種臣(そえじま-たねおみ)大使にしたがい清(しん)(中国)にわたる。太政官大書記官,賞勲局主事となり,賞勲制度の整備に寄与。のち駐米弁理公使。明治29年2月12日死去。58歳。肥前長崎出身。通称は義十郎。号は東皐(とうこう)。著作に「万国勲章略誌」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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