平家正節(読み)へいけまぶし

精選版 日本国語大辞典 「平家正節」の意味・読み・例文・類語

へいけまぶし【平家正節】

平曲譜本。全四〇冊。検校荻野知一の撰。安永五年(一七七六)、名古屋成立。岡村玄川の「平家吟譜」をさらに科学的に、整備改訂したもので、前田流の規範譜とされている。

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改訂新版 世界大百科事典 「平家正節」の意味・わかりやすい解説

平家正節 (へいけまぶし)

平曲の譜本(楽譜)。正節は〈しょうせつ〉とも読む。江戸時代中期,前田流の荻野検校(名は知一)が編纂した。平曲は江戸時代に入り,晴眼のしろうと平曲愛好家が多くなり,なかでも前田流は全国に広まった。その結果さまざまな譜本が作られ,詞章墨譜(節まわしを表す記号)が乱れたため,譜本の整理が必要になった。京都で前田,波多野の両流を修めた荻野検校は,名古屋に居を構え,尾張藩の儒学者松平君山や丹羽敬中(仲)など,平曲の素養のある学者や門人たちの協力を得て5年余の歳月をかけ,それまでの平曲譜本を校合,吟味して1776年(安永5)《平家正節》を完成した。江戸の前田流はそれまで医師の岡村玄川が1737年(元文2)に完成した《平家吟譜》を広く用いていたが,天保(1830-44)初期に当時の江戸惣録(江戸の当道(とうどう)の組織の長)であった麻岡長歳一検校はこれを《平家正節》に切り替え,以後《平家正節》が正本として全国に広まり,その後の平曲に大きな影響を与えた。

 記譜法は,それまでの譜本に比べてきわめて明確で,混同しやすい墨譜の形を改め,いくつもの意味をもつ墨譜はその意味に応じて形を定め,一貫して合理化に努めている。この記譜法を身につければ,譜を見ておおよその旋律を演唱することができる。荻野検校の子孫にあたる名古屋の尾崎正忠所蔵のものによると,《平家正節》は39冊からなる。その内容は〈平物(ひらもの)〉30冊(《平家物語》全12巻の各巻から1句ずつ選り出して12句1巻に配列する〈巻通し〉の形式によって構成されている),〈伝授物〉5冊(読物,五句物,炎上物,揃物),〈灌頂巻(かんぢようのまき)〉1冊,〈間の物〉1冊,〈小秘事〉1冊,〈付録〉1冊(序文,跋文ほか)である。〈大秘事〉が含まれないのは口伝による伝授の伝統を守ったためと思われる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平家正節」の意味・わかりやすい解説

平家正節
へいけまぶし

平曲の譜本。「へいけしょうせつ」ともいう。名古屋の荻野知一検校編。安永5 (1776) 年完成。元文2 (37) 年江戸の岡村玄川編の『平家吟譜』 (稿本の一種は「平曲吟譜」ともいう) をはじめ,それ以前の前田流の諸譜本を集成校合したもの。麻岡検校以後,各地の前田流で規範譜として用いられた。

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世界大百科事典(旧版)内の平家正節の言及

【荻野検校】より

…江戸中期,京都と名古屋で活躍した前田流の平曲家。平曲譜本の決定版ともいうべき《平家正節(まぶし)》の編纂者。広島出身(生年は1737年説あり)。…

【平曲】より

…また江戸時代には晴眼の俳人や茶人のあいだで平曲が静かなブームをよび,こうしたしろうとの愛好家のために声明(しようみよう)や謡(うたい)の記譜法を応用しながらさまざまな平曲譜本が作られた。18世紀後半,名古屋で活躍した前田流の荻野検校は大々的な整譜作業を行い,《平家正節(へいけまぶし)》という優れた譜本を完成し,これが江戸の前田流にとり入れられ,さらに広く全国に普及した。 明治時代になり,新政府が当道を廃止したため,収入の道の途絶えた平曲家たちは鍼灸(しんきゆう)の仕事などに転向することになる。…

※「平家正節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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