平尾在脩(読み)ひらお・ざいしゅう

朝日日本歴史人物事典 「平尾在脩」の解説

平尾在脩

没年:明治44(1911)
生年天保12.1.19(1841.2.10)
明治時代,兵庫県の農村指導者。はじめ大吉,のち学次郎,晩年に在脩と号した。但馬国三宅村(兵庫県豊岡市)地主平尾在寛の次男,元治1(1864)年家を継ぐ。明治1(1868)年,出石藩御用達,翌2年三宅村庄屋となる。同年の飢饉に際し困窮者のために無利子の質物預所を設置し救済に当たった。のち戸長から22年に初代村長となり,試験田の設置や農具・耕作法の技術改良など,農業経営の指導や治水治山に尽力し,三宅村維持資産会を設置し村独自の共済制度を実施。教育面でも明治6年小学校を開設。また報徳主義を説き「今尊徳」と称された。<参考文献>兵庫県編『但馬偉人平尾在脩』

(神崎彰利)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平尾在脩」の解説

平尾在脩 ひらお-ざいしゅう

1841-1911 明治時代の農村指導者。
天保(てんぽう)12年1月19日生まれ。明治元年但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩御用達,2年三宅村庄屋,22年初代村長となり,治水,灌漑(かんがい)の施設を整備し,農具や農法を改良する。また三宅村維持資産会をつくり,村独自の共済制度をもうけた。明治44年1月25日死去。71歳。名は大吉,学治郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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