平惟範(読み)たいらのこれのり

朝日日本歴史人物事典 「平惟範」の解説

平惟範

没年:延喜9.9.18(909.11.3)
生年斉衡2(855)
平安前期の公卿。大納言高棟王の子で母は贈太政大臣藤原長良の娘の典侍有子。賜姓平氏。19歳で叙爵して,貞観16(874)年蔵人に任じられ,清和天皇退位までの3年間この職にあり,その後,京官を歴任,延喜2(902)年参議になった。5年後に中納言に進み検非違使別当や右大将を兼務したが,2年目に死去。学識ふかく醍醐天皇のとき完成した『延喜格』の編纂にかかわった。漢詩に通じ,仁和4(888)年画師巨勢金岡が御所障子当代の優れた詩人を描いた際そのひとりに選ばれ,翌年9月の残菊宴で詩をたてまつっている。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平惟範」の解説

平惟範 たいらの-これのり

855-909 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
斉衡(さいこう)2年生まれ。平高棟(たかむね)の3男。累進して従三位,中納言兼右近衛(うこんえの)大将となる。文才にとみ詩人としても活躍,また貞観(じょうがん)以来の詔勅類をまとめた「延喜格(えんぎきゃく)」の編集に参加した。延喜9年9月18日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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